Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#277~#283>問答(16)問16-7~16-13<困難克服篇>7篇

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#277-151007

問16-7 習性(習い性)は業を造りますか?

答16-7 良い習慣は善業で、悪い習慣は悪業です。しかし、阿羅漢の習慣は唯作で、善業でも悪業でもありません。

#278-151007

問16-8 よい習性は善業で、悪い習性は悪業であるならば、虎が弱小の動物を捉えて食べるのは、絶え間なく悪業を造っていて、永遠に悪い報いを受けて、善道に生まれ変わる機会は非常に少ないのではないですか?

答16-8 そうです。これはなぜ仏陀が《愚人智者経》の中で、「悪道においては、修すべき法がなく、修すべき善がなく、造るべき善がなく、造るべき福がない。悪道の中では、相互による殺戮と弱肉強食だけが盛んにおこなわれている」と言った理由です。

こういう事から、《法句経註》では、地獄は愚人の真正の家、と言われています。愚人が大地獄で非常に長い時間苦を受けた後、彼らは小地獄へと生まれ変わります。そこで非常に長い時間苦を受けた後、彼らは餓鬼道へと生まれ変わります。そこで非常に長い時間苦を受けた後、彼らは畜生道へと生まれ変わります。畜生道では、彼らはお互いに殺戮をし、多くの悪業を造り、死後また地獄に堕ちます。このように何度も同じ事を繰り返しながら、彼らは人に生まれ変わります。ただ、悪い習慣のせいで、彼らは再びまた多くの悪業を造り、死後また地獄に堕ちます。故に、我々は、愚人は地獄の定住者だと言うのです。

長く地獄に住んだ後、彼らはようやく人間界に少しの間やってきて、又地獄へと戻って行きます。これが、なぜ仏陀が人身受け難しと言ったか、という理由です。しかしながら、多くの人は、得られた人身を大切にしません。彼らは放逸に生き、心の向くままにやりたい放題各種の欲楽を享受します。彼らは妻と暮らし、他人の妻又は夫を誘惑し、高い生活水準を維持する為に堕胎し、多くの鶏や豚を殺させて酒宴を開き、不法な手段でお金を儲け、その他諸々の悪業をなしています。悪道に堕ちて初めて、彼らは、人であった時の命をより良く使わなかった事を後悔するのですが、それでは遅すぎるのです。

#279-151007

問16-9 修行者は一生、荘厳で厳粛な態度でいなければならないのでしょうか?経典では、仏陀も時には軽口やユーモアを言っていたのでしょうか?

答16-9 仏陀は厳粛でしたが、温和で慈悲がありました。仏陀は決して冗談を言わず、事実だけを話しました。

ある時、仏陀は比丘達に以下の本生譚を述べました。

昔々、一人の商人がいて、名前をカッパタ(Kappaṭa)と言いました。彼には一頭の驢馬があり、彼の為に、毎日、陶器を一杯に積んだ貨車を、7由旬の遠くまで、引っ張っていました。ある時、カッパタと陶器を一杯に積んだ貨車を引っ張っている  驢馬は、タッカシラ(Takkasila)に来ました。商人は荷物を届けるのに忙しかったので、驢馬を自由にさせてあげました。驢馬は小さな川に沿って歩いていると、一頭の雌驢馬に出会ったので、彼は近づいて行きました。雌驢馬は親しげに言いました:「あなたはどこから来たのですか?」「バラナシから」「何をしに?」「商売」「あなたが引っ張っている貨物はどれくらい?」「車一杯の陶器」「あなたは車一杯の陶器を積んでどれくらい引っ張るの?」「7由旬」「あなたがあちこち行った先には、あなたの為に脚や背中を按摩してくれる驢馬はいますか?」「いないです」「そんな事なら、あなたの生活はつらいものですね」

雌驢馬の話を聞いて、彼は不機嫌になりました。すべての貨物を届け終わると、商人は驢馬のいる所にきて、言いました「さあ、帰りましょう」「あなたは、一人で帰って下さい;私は戻りません」商人は何度もやさしく声を掛けましたが、驢馬は決して動こうとはしませんでした。それで商人は驢馬を叱りました。そして考えました「私には、驢馬を動かすよい方法がある」。そして以下の偈を述べました。

「私はあなたの為に棒を作る。16インチの長さの棘を持つ。私はあなたを細かく切り刻む。わかったかね、驢馬君」

驢馬は答えました「もしそうであるならば、私はあなたにどうしたらいいか知っている」。そして以下の偈を述べました:

「あなたは私の為に棒を作る、という。16インチの長さの棘を持つ。いいでしょう!もしそうなれば、私は前足をしっかり地につけて、後ろ足であなたの歯を蹴るでしょう。わかったかね、カッパタ」

驢馬の返事を聞いて、商人は思いました。「何が原因で彼はこういう事を言うのだろうか?」四方を見まわしてみると、雌驢馬が一頭いました。彼は思いました「ああ、この雌驢馬が彼に教えたのだ。それなら私は彼に言おう『君にあの雌驢馬のような妻を連れてきてあげる』異性をエサに、私は彼を歩かせる事が出来ました」

そして、偈を一つ歌いました。

「私は君にお顔が真珠のようで、考えられるだけの美貌を兼ね備えた雌驢馬を妻に迎えてあげる。わかったかね、驢馬君。」

これを聞いた驢馬は非常に喜び、以下の偈で返しました。

「あなたは私にお顔が真珠のようで、一切の美貌を兼ね備えた雌驢馬を妻に迎えてくれると言う。もしそうであるならば、カッパタ、今まで毎日7由旬を歩いていたけれど、毎日14由旬を歩いても構わない」

カッパタは言いました:「よし。それなら戻ろう!」こうして彼は驢馬を連れて、貨物の所へ戻りました。

何日か経って、驢馬は商人に聞きました:「あなたは妻を一頭、下さると言いませんでしたか?」商人「ええ、私は確かにそういいましたし、約束を破るような事はしません。妻を一頭差し上げましょう。けれど、私は君には一頭分の食物しか与えません。君と妻、二頭で食べて足りるか、足りないか、私には分かりません。それは自分で解決して下さい。二頭が一緒に生活したら、子驢馬が生まれます。私は君に一頭分の食物しか与えません。君と妻と子供たちで食べて足りるか、足りないか、私には分かりません。それは自分で解決して下さい。」商人の話を聞いて、驢馬は欲念が消えてしまいました。

この物語を言い終えた後、仏陀は、この商人は自分で、雄驢馬はアーナンダ尊者で、雌驢馬はナンダ尊者の許嫁だった王妃だと言いました。

 

あなたは仏陀がユーモアのある物語を一つ述べたと思うかもしれませんが、彼は冗談を言ったのではなくて、事実を言ったのです。

#280-151007

問16-10 仏陀の多くの本生譚の中で、人が動物と話をして心が通じる場面が出てきます。たとえば、先ほど禅師が話された商人と驢馬の物語など。昔の人間は動物と話ができる能力を持っていたのでしょうか?もしそうであるならば、どういう方法なのでしょうか?言葉で通じているのか、意念で通じているのか?どうして現代人には、このような能力がないのでしょうか?

答16-10 多くの本生譚の中で、動物が人と話をして心が通じている場面が、はっきりと描かれています。というのも、動物たちは、遠くない過去世で人間だったからです。その他の本生譚では、仏陀は動物の考えを言語によって表現しています。というのも、彼は動物たちが何を考えているか、分かっていたからです。

#281-151007

問16-11 人が、普段の時にも不思議な考えが生まれて、恐怖や不安を感じる事がありますが、これは業果でしょうか?それは私の普段の生活を乱すだけでなく、私の修行をも乱します。私は相手にしないよう努力しましたが、効果はありませんでした。私はどのようにしてこの事を克服すればよいですか?

答16-11 我々は、それをあなたの悪業であると断定する事はできません。というのも、ある時はそうである可能性はありますが、ある時は、あなたの不如理作意が原因だからです。もし克服したいのであれば、あなたは不如理作意を如理作意に転換する事です。

#282-151007

問16-12 いまだジャーナと観智を証していない修行者は、邪念、悪念及び不善心所をどのようにして、退治しますか?

答16-12 彼は正念をもって、自己の禅の目標に専注しなければなりません。たとえば出る息・入る息、又は四大です。それとは別に、彼は如理に思惟します、たとえば生・老・病・死、四悪道、生死輪廻の苦等々を思惟する事です。彼は仏法について思惟するのもよいです。彼がそのようにする時、いまだ生起しない邪見と悪念が生起するのを防ぐ事ができるし、又、すでに生起した邪見と悪念を取り除く事ができます。

#283-151007

問16-13 ある初心者が、子供の時から悲観的で、自分に自信がなく、自分は成功するわけがないと思っている。このような人に対して、どのように指導すればよいですか?

答16-13 このタイプの人は指導がしにくいです。あなたは彼に、仏法僧に対する確信が得られるように、仏法を説明してあげてもいいです。ただ、通常は、こういう人は、熱心に仏法を聞こうとしません。もし彼が禅の修行に取り組めれば、とてもよいです。というのも、彼が禅の修行で進歩したならば、仏法に確信が持て、自信も出て来ると思います。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。)