Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

パオ・セヤドー問答集~#314>問答(16)問16-44<定学疑問編>1編。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#314-151009

問16-44 《大念処経》において、安般念の修行法には、四つの段階があります。しかし、他の経論においては、16段階に分けて説明されています。両者の違いは何ですか?

答16-44 この二つの方法について、基本的には、違いはありません。《大念処経》の中で、仏陀は安般念の修行を四つの段階に分けて指導しましたが、それは止禅でジャーナに到る修行の方法です。次に続く「彼は内部の身を身と観照する事に安住して・・・」などの経文こそが、観禅(vipassanā)の段階になります。その他の経、たとえば《中部》の《安般念経》(Ānāpānassati Sutta)では、仏陀は16段階に分けて教えていて、それは止禅と観禅(vipassanā)を含みます。この16の段階は、四つのグループに分ける事ができます。第一グループは身念処で、第二グループは受念処で、第三グループは心念処で、第四グループは法念処です。第一のグループは止禅にのみ言及していて、第二と第三のグループは、止禅と観禅(vipassanā)として解釈する事ができます。第四のグループはただ観禅にのみ言及しています。

第一グループの四つの段階:(1)長い息。(2)短い息。(3)全部の息。(4)微細な息。もし、順を追って段階的にこのように修行することが出来るならば、定力が上昇した時、あなたは呼吸が禅相、また似相にまで変わるのを見る事ができるでしょう。あなたが一心に似相に融入する時、あなたは安止定に入った事になります。そうして、あなたは段階的に順を追って、初禅乃至第四禅までを証する事ができます。

これは《大念処経》における安般念の四つの段階と同じものです。第四禅に到達した後、次はどのように修行したらいいのでしょうか?もし、《安般念経》に基づくならば、あなたは次のグループの四つの段階を修行しなければならず、それは受念処から観禅の修行を始めるものです。もし、《大念処経》に基づくならば、我々がすでに説明した「かくの如く、彼は内部の身を身と観照する事に安住して・・・」この経の部分によって、あなたは三種類の身を観照しなければなりません。(1)呼吸身:呼吸の中の究竟色法。(2)所生身:業生身、心生色、時節生色と食生色という、四種類の色法。言い換えれば28種類のすべての色法で、それらもまた色身と呼ばれます。(3)名身:究竟名法、受、想、行、識を含む四種類の名蘊。ジャーナ名法もこの中に含まれます。内と外における、この三種類の身を照見できるようになったなら、あなたはそれらの因縁生滅と刹那生滅を観照しなければなりません。そして、更に進んで自己の観智を行捨智まで高めなければなりません。更に上の聖道と聖果は、涅槃を対象にして生起します。皆さんはこれらの修行順序を覚えておいて下さい。

第二グループの四つの段階:(1)「彼はこのように、訓練します:『私は喜を覚知して息を吸う;私は喜を覚知して息を吐く』」喜を覚知しながら呼吸するとはどういう事か?あなたは安般初禅に入らなければなりません。初禅の中の五つの禅支には喜が含まれます。という事は、初禅に安住している時、喜を感じながら呼吸しているのです。初禅から出定して、五禅支を検証した後、あなたは第二禅に入らなければなりません。第二禅には三個の禅支があり、喜も含まれています。その時あなたは喜を覚知しながら呼吸している事になります。これは止禅のレベルです。

観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたは先に安般初禅に入ります。出定後、初禅の中に含まれている喜を含む34個の名法を無常・苦・無我と観照します。このように観照する時、あなたの観智の中にも喜という名法が存在します。喩えて言うならば、あなたが親友と会う時、親友があなたに微笑みかけたら、あなたもまた微笑むでしょう。同様の道理で、観智の対象(初禅の34個の名法)の中に喜がある為、観智の中にも喜があります。このように観照する時、あなたは喜を覚知しながら呼吸しているのです。次に第二禅に入ります。出定後、第二禅に含まれる喜を含む32個の名法を、無常・苦・無我と観照します。その時、あなたの観智の中には喜があり、あなたは喜を覚知しながら呼吸している事になります。

(2)「彼はこのように、訓練します:『私は楽を覚知して息を吸う;私は楽を覚知して息を吐く』」止禅の状況から言えば、楽が初禅、第二禅と第三禅に含まれています。故にあなたがこの三種類のどれか一つのジャーナの中にある時、あなたは楽を覚知しながら呼吸していると言うのです。

観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたはこの三種類のジャーナのどれかから出定した後、あなたはジャーナ名法の無常・苦・無我を観照します。その時、ジャーナ名法に楽が含まれる為、あなたの観智にも楽が含まれ、故に、あなたは楽を覚知しながら呼吸している、と言えるのです。

(3)「彼はこのように、訓練します:『私は心行を覚知して息を吸う;私は心行を覚知して息を吐く』」あなたがどれか任意の安般ジャーナに安住している時、あなたは心行を体験する事ができます、特に個別のジャーナの禅支では:初禅には五個の禅支があり、第二禅には三個の禅支があり、第三禅には二個の禅支があり、第四禅には二個の禅支があります。その時、あなたは心行を覚知しながら呼吸している事になります。

観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたはそれぞれの安般ジャーナに入り、それから出定した後、ジャーナ名法の無常・苦・無我を観照します。このように観照する時、あなたは心行:初禅の34個の名法、第二禅の32個の名法、第三禅の31個の名法、第四禅の31個の名法、を体験する事ができます。故に、あなたは心行を覚知しながら呼吸している、と言えるのです。

どうして、仏陀はこの段階で心行(citta saṅkhāra)を指導したのか?心行とは何でしょうか?ある経ではこの様に書かれています:‘saññā ca vedanā ca cittasaṅkhāro。’――「想と受は心行である」。故に、それらのジャーナ名法を観照している時、あなたは特に想と受を観照する事に重点を置かねばなりません、特に受を、です。このような理由によって、この段階の修習を、受念処と言います。

(4)「彼はこのように、訓練します:『私は心行を平静にして息を吸う;私は心行を平静にして息を吐く』」あなたは安般似相を対象にして初禅、第二禅、第三禅、第四禅に入ります。この時あなたは心行を平静にして呼吸していると言えます。どうしてか?初禅の中の心行は、近行定のものより更に平静であり、第二禅の心行は初禅のものより更に平静であり、第三禅の心行は第二禅のものより更に平静であり、第四禅の心行は第三禅のものより更に平静であるからである。入禅するレベルが高い程、心行もまた平静になります。故に、あなたが順を追って段階的に修行する時、心行を平静にして呼吸している事になります。

 観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたは順を追って段階的に初禅名法、第二禅名法、第三禅名法と第四禅名法の無常・苦・無我を観照しなければなりません。あなたが初禅名法を無常・苦・無我と観照する時、あなたの観智は非常に平静になります。あなたが同様の方法で、第二禅の名法を観照する時、あなたの観智は更に静まります。同様の理由で、同様の方式で第三禅と第四禅の名法を観照する時、あなたの観智はますます平静になります。このように修行する時、あなたは心行を平静にして呼吸していると言えます。

この段階において、あなたは特に受を重点的に観照しなければなりませんから、この段階は受念処の段階だと言えます。

《安般念経》の中の、第二グループの第四段階では、初禅、第二禅、第三禅、第四禅の名法を観照しなければならない、と言っています。これらの名法は、《大念処経》の中の「彼は内部の身を身と観照する事に安住して・・・」で言われている部分の、三種類の身の中の名身を観照しなければならない、と言及している、そのグループに入ります。このように、この二つの経で話されている方法は、実は同じものなのです。

第三グループの四つ目の段階:(1)「彼はこのように、訓練します:『私は心を覚知して息を吸う;私は心を覚知して息を吐く』」止禅の状況から言えば、あなたはまず先に安般念の初禅、第二禅、第三禅、第四禅に入らなければなりません。それぞれのジャーナから出定して後、重点的に心を観照する為、心を覚知しながら呼吸すると言うのです。

 観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたはやはり、安般似相に専注して初禅に入らなければなりません。出定後、初禅の34個の名法の無常・苦・無我を観照しなければなりません、特に心(識)を観照する事に重点を置きます。第二禅、第三禅、第四禅も同様に、この方法で修行します。このように観照する時、あなたは心を覚知して呼吸しているのです。

(2)「彼はこのように、訓練します:『私は心を喜悦させて息を吸う;私は心を喜悦させて息を吐く』」あなたはやはり、安般似相に専注して初禅に入らなければなりません。出定後、初禅の、喜禅支を含む五禅支を検証しなければなりません。あなたは喜禅支を発見したのが原因で、あなたの心に喜悦が生じます。故に、あなたが初禅に入る時、心を喜悦させて呼吸している事になります。第二禅でも同様です。これが止禅の説明です。

観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたは安般初禅から出定後、喜心所を含む初禅名法の無常・苦・無我を観照しなければなりません。第二禅から出定した後もまた同じように観照しなければなりません。その時あなたの観智の中には喜心所があり、それはあなたの心を喜悦させる事ができます。このように観照する時、心を喜悦させて呼吸すると言います。

(3)「彼はこのように、訓練します:『私は心を専注させて息を吸う;私は心を専注させて息を吐く』」あなたは安般似相を対象にして、初禅、第二禅、第三禅、第四禅に入らなければなりません。これらのジャーナの中には、一境性という禅支が含まれていますが、一境性とはすなわち、定です。これらのジャーナに安住する時、あなたの心は安般似相にのみ専注しています。その時、心を専注させて呼吸すると言います。

観禅(vipassanā)の修習に転換する時、これらのジャーナから出定した後、あなたはそれぞれのジャーナの名法の無常・苦・無我を観照しなければなりません。そのように観照する時、あなたの心はジャーナ名法の無常・苦・無我の三相に専注します。これが心を専注させて呼吸する、という事です。

(4)「彼はこのように、訓練します:『私は心を解脱させて息を吸う;私は心を解脱させて息を吐く』」あなたは安般似相を対象にして、初禅に入らなければなりません。初禅の中で、あなたの心は五蓋から解脱します。この時、心を五蓋から解脱させて息を吸うと言います。次に、安般似相に専注して第二禅に入りますが、その時、あなたの心は、尋と伺から解脱します。故に、あなたは心を、尋と伺から解脱させて呼吸をすると言います。次に、安般似相に専注して第三禅に入りますが、その時あなたの心は喜から解脱します。故に心を喜から解脱させて呼吸すると言います。次に、安般似相に専注して第四禅に入りますが、あなたの心は楽から解脱します。故に心を楽から解脱させて呼吸すると言います。これは止禅の状況です。

 観禅(vipassanā)の修習に転換する時、あなたはやはり、安般似相に専注して初禅に入らなければなりません。出定後、初禅名法の無常・苦・無我を観照します。あなたが観智でもってこの三項の本質を照見した時、あなたの心は常想、楽想、我想から解脱します。同様に、第二禅、第三禅、第四禅の名法の無常・苦・無我を観照して、心を 常想、楽想、我想から解脱させて呼吸します。

このグループの四つの段階はすべて、心を観照する事に重点を置いている為、このグループは心念処と呼ばれます。とはいえ、ただ心を観照するだけでなく、重点的に心を観照する以外に、心に相応して生起するその他の心所も観照しなければなりません。

《大念処経》の中の安般念の一節では、あなたが三種類の身(呼吸身、色身と名身)を観照する時、究竟名色法を観照しているのだと言います。《安般念経》の中で言及されているジャーナ名法は、すべて究竟名色法の中に包括されます。故に、この二つの経が指導する所のものは、基本的には同じものなのです。

第四グループの四つの段階:(1)「彼はこのように、訓練します:『私は無常を観ながら息を吸う;私は無常を観ながら息を吐く』」。このグループでは、仏陀は観禅(vipassanā)にのみ言及しています。ここでは、我々は四種類の状況に分けて説明しなければなりません:(1)無常(anicca):五蘊は無常です。どうしてか?それはずっと壊滅し続けているからです。(2)無常性(aniccatā):五蘊における無常の本質。(3)無常随観(aniccatānupassanā):五蘊を無常と照見する観智。(4)無常者の観察(aniccatānupassī):五蘊が無常である本質(を有する)修行者の観察。もし、この四種類を見ようとするならば、あなたは先に、五蘊を照見し、その後に五蘊が無常であるという本質を観照しなければなりません。

《大念処経》の中で、修行者が第四禅を証した後(どうするのかを)、仏陀は教えて言いました:「彼は内部の身を身として観照する事に安住し、外部の身を身として観照する事に安住し、又は内部と外部の身を身として観照する事に安住している。」と。それは、内部と外部の五蘊を観照しなければならない、という事です。《安般念経》が(いう所と)、ここでいわれている五蘊を観照しなければならいと言っているのとは、同じ道理です。

(2)「彼はこのように、訓練します:『私は貪欲から離れて息を吸う;私は貪欲から離れて息を吐く』」。ここでは二種類の離があります。すなわち、滅離(khayavirāga)と究竟離(accantavirāga)です。滅離とは壊滅を観照する事によって、一時的に五蘊を捨離します。究竟離とは、永遠に五蘊を捨離する事で、すなわち、涅槃です。まず先に、あなたは順を追って段階的に五蘊の生滅と無常・苦・無我を観照しなければなりません。観智が強い時、ただ五蘊の壊滅にのみ重点を置いて、無常・苦・無我を観照します。その時、あなたは五蘊の滅離を観照しながら呼吸している事になります。観智が熟すると、あなたは涅槃を証悟します。その時、あなたは涅槃とは究竟離である事を体験します。というのも、涅槃の中には五蘊が完全にないからです。故に、あなたが涅槃を対象に取る果定の中にいる時、五蘊の究竟離を観照しながら呼吸していると言えます。

(3)「彼はこのように、訓練します:『私は滅を観じて息を吸う;私は滅を観じて息を吐く』」。ここでは二種類の滅があります。すなわち、刹那滅(khaṇanirodha )と究竟滅(accantanirodha)です。刹那滅とは、五蘊の刹那の壊滅を言い、究竟滅は五蘊の完全な滅尽を言い、すなわち、涅槃の事です。もし、順を追って段階的に五蘊の生滅の無常・苦・無我を観照する事ができ、かつ、観智が強い時、あなたは五蘊の刹那の壊滅だけを見る事になりますが、この観智は、一時的に煩悩を取り除く事ができます。その時、あなたは五蘊の刹那滅を観じて呼吸していると言えます。涅槃を証悟した後で、あなたが果定に安住する時、涅槃の中では、五蘊が完全に滅尽している為、五蘊の究竟滅を観ながら呼吸していると言います。

(4)「彼はこのように、訓練します:『私は捨を観じて息を吸う;私は捨を観じて息を吐く』」。ここでは二種類の捨があります。棄捨(vassagga paṭinissagga)と入捨(pakkhandana  paṭinissagga)です。棄捨とは何か?あなたは壊滅随観智に到達する為に、順を追って段階的に五蘊の無常・苦・無我を観照しなければなりません。観智が熟した時、あなたの無常随観は、傲慢を捨て去る事ができ、苦随観は貪愛を捨て去る事ができ、無我随観は、邪見を捨て去る事ができます。その時、あなたは煩悩の棄捨を観じながら、呼吸していると言えます。この観智は、五蘊によって生起した煩悩を棄捨できるだけでなく、あなたの心を涅槃(五蘊と煩悩の完全なる消滅)に向かわせる事ができます。故に、あなたの観智は、一種の棄捨であり、一種の入捨でもあります。いつかある日、あなたは涅槃を証悟しますが、その時、あなたの道智は煩悩を滅し去る事ができます。煩悩が徹底的に滅し去られた時、あなたは煩悩の棄捨を観じながら呼吸していると言います。同時に、あなたの道智は直接涅槃を体験する事ができますから、あなたは涅槃への趣入を観じながら呼吸をしているとも言えます。

上に述べた通り、16の段階がありますが、一つの段階毎に吸気と呼気がありますから、16種類の吸気と16種類の呼気があり、合わせると32種類になります。これが、我々が涅槃を証悟する為に、仏陀が教えた呼吸の方法です。今、現在、我々は仏陀の教えた通りに呼吸しているかどうか、自分に問うてみましょう。もし、仏陀の教えた方法で呼吸するならば、いつの日にか、あなたは阿羅漢果を証悟するでしょう。その時、あなたの一切の煩悩は滅し尽くされます。般涅槃の後、一切の五蘊と一切の苦は、すべて滅尽します。こういう事ですから、皆さん、仏陀の教えた方法で呼吸しましょう。

結論。《大念処経》の中の安般念の一節に説かれている指導方法と《安般念経》で指導されている16の段階は、方法において同じであり、ただ、仏陀は法を聞く人の機根の違いに応じて、異なった方法で説明したに過ぎません。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṁ me puññaṁ nibbānassa paccayo hotu)。