Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~33>仏教用語の変質

<パオ・セヤドー問答集>の翻訳、公開のテンポが速くて、申し訳ないです。

11月から台湾でリトリートに参加するので、3か月ほ

どブログを更新できません。

その為、時間が許す限り、どんどん進めています。

後4、5回で、問答集の翻訳は、終われそうです。

今日は、仏教通史を学びに、某市の公民館に行って

きました。

そこで、仏陀が成道する前後、インドには六師外道がいた、という話になり、「外道」とは、仏教徒が、

六師を馬鹿にして言った差別語だというのですが、

中国語で「外道 waidao」と読むと、善悪の匂いが

しない、中立語なんです(自分とは意見が異なる人々、

又は中道ではない所の思想、意見という感じ)。

仏教用語が日本に入ってきてから、中立語が、

悪い意味で使われているのを散見します。

「外道」もそうですが、「業」も、業が深いとか、

不幸な目にあった人を「カルマ(業)じゃ」と脅す

とか「業」自体に嫌な響きが・・・TVの見すぎ

か・・・(苦笑)。

中国語で業(ye)と言えば、それ自体はただの

中立語で、悪業、善業と、使い分けします。

中国語で、人に警告、脅しに使う場合、業障と

いう場合が多いようです。

仏教書を翻訳する時は、機械的に翻訳するのではなく、

語感や言語成立の背景の理解も大事かな、と思いま

す(斜め上行く超意訳は、しないように気を付けて

います)。

私の翻訳文を読んで、読者の方々が、仏教思想を、

腹落ちしてくれているだろうか?

自分が仏法について腹落ちしていなければ、

よい翻訳はできない、とつくづく思う毎日です。

(ちなみに、チベットに仏教が入った時、時の王様は、

仏教経典を翻訳する翻訳僧が、恣意的に意訳した場合、

斬首の刑にしたそうです。ですから、現在チべットに

あるチベット語仏教書は、完全に元のサンスクリット

パーリ語戻るそうです。仏教書は、意訳しては

けないのですね。桑原桑原)。閑話休題