Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~46>老後やいかに生くべけん

以前、関東にいた時、市中の開業医から、骨がもろくなる<老人性骨粗鬆症>の傾向があると言われ、薬を飲んでいたのですが、一年後の検査データで「薬の効き目悪し」「改善が見られない」と出たので、二年ほど治療を放棄していました。

先日、67歳の誕生日を迎え、二年の間に新薬でも出ていたら、飲んでみてもいいかもと思い、あらためて骨の粗鬆度を測定してもらおうかと思ったものの、Y盆地はその日から連続して毎日、雪また雪。

今朝、意を決して病院に行こうとしたけれど、積もっている雪をかき分けて出かけて、転んで骨折したら、それこそ本末転倒、泣き面にハチ、外出は諦めました(まぁ、二年間放置していたのです、今更急ぐわけもなく)。

しかし、老人の一人住まい、やはり動けなくなった時の事が一番心配ですね。

私は子供の時に良寛さんの伝記を読んで、一番気になったのは、その亡くなり方でした(当時の子ども脳では、彼の漢詩等は難しくてよく理解できなかったですね。今読むと、相当共感します。私が年を取ったのと、多少は修行した、からかもしれません)。

良寛さんは故郷の越後に戻ると、一人で五合庵に住み、体調を崩した後は、良寛さんを案ずる村人が自分の家の蔵に住むよう手配し・・・最後は弟子の尼僧さんがお世話して看取ったそうですが・・・。

史実かどうかは分かりませんが、亡くなる時は「死にたくない」と言った後で「裏を見せ、表を見せて散るもみじ」という世辞を残したとか。良寛さんほどに修行した人でも死に面して、一度は「死にたくない」と思うものなのか、それともテーラワーダでいう所の、阿羅漢級の人なら、四次元世界などもう全然未練もなく、死ぬのも怖くはないのか・・・。

私も今は<是誰庵>で一人暮らし。

現代日本には「托鉢禁止令(申告制)」があるので、良寛さんのように托鉢して歩く事はないし、最後を看取ってくれそうな弟子もいない。

幸いY盆地は、温泉が出るおかげかどうか、病院やリハビリ施設が割と多い。人と人との絆が薄くなった分、こういう設備や介護制度を利用して老後を乗り切るか・・・どうか乗りきれますように、と祈るような気持ちになる時があります。

いつの世も、生まれるより、死ぬ方が何倍も何倍も大変、と思うのであります。