Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

是誰庵のひとやすみ~46>良心と霊魂と無我

私が仏教(宗教)に興味を持つきっかけになったキーワードの一つに<魂>という言葉があります。

子供の時に「たましい」という言葉を聞いて「ドキッ」として、「それは何だ?」と心が騒いだ時の事は、今もはっきりと思い出します(もう少し年長になって生じた疑問は「どうせ死ぬのになぜ生まれたのか?」というものです)。

<良心に恥じない生き方>や<魂にふれる音楽><魂が震える>という言い方がありますが、この時、良心と魂は入れかえ不能。では、その違いは何?

そして、理論好きな仏教徒に<魂>とか<霊魂>とかいうと、打って返すように<いや、仏教は無我です>と反論される。

私も一応仏教徒ですが、<無我>と<魂>を対立させる必要があるのかどうか・・・ずっと考えています(無我は仏教の旗印、魂はバラモンヒンズー教の旗印、仏教徒はどうしても<魂>という言葉に拒絶反応を示す人が多いように感じます)。

「なくしたサイフを探すより、<本当の自己>を探してみないか」(ゴータマ仏陀)。

さて、見つかったものは、無我か魂か良心か、それとも別の何かでしょうか?