Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―35

 

8、行捨

我々は、不必要な煩悩を捨てようではないか。

自分の懐を痛めて、少しばかり布施をしよう。行捨とは、

内心に布施の心を持つ事である。

もし、布施の心を持てたなら、あなたは貪欲ではありえない。

有る人が我が講堂に来て、私が加持したブレスレットが護身に

霊験があると聞くや否や、一度に何十個も持って帰り、

一銭も布施をしなかったことがある。

我々出家者は布施が欲しい訳ではないが、実例として申し上げ

ている。

我々はそれらの人々の行動から、ただひたすら他人のものが

欲しいだけの人がいる、という事が分かる。

我々が荘厳なる仏像を印刷した時、ある人が、いきなり

300枚も持ち去ってしまったが、随喜の功徳を理解して

いないために、お布施をしなかった。

我々は文句を言う訳にもいかず、ただ苦笑するだけだった。

考えるまでもなく、仏像を印刷するのもお金がかかって

いるのであり、こういう場合、随喜して、少額でもよいから、

お布施をするべきである。

お金の多寡は問題ではなく、善意の心が欲しいのである。

しかし、人間とは不思議なもので、無料だと言えば、

両手いっぱいに抱えて持ち去り、有料だと言えば、

誰もいらない、という。

我々には施捨心が必要だ。

施捨心を意味する所のものは広範である。

財物の布施以外に、是非の施捨(是とか非とかの噂話を

しない)も布施に入る。煩悩を捨てるのも施捨、行捨である。

不必要な煩悩を捨てる事、これもまた一種の施捨である。

9、不害

不害とは、衆生を害さない事。

皆さんに覚えておいて頂きたい。

どのような衆生でも、決して残虐に害してはならない。

我々は、衆生とよき縁を結ばなければならず、衆生と

悪縁を結んではならない。

心の内に虐待願望があってはならない。

慈悲と智慧は、諸仏の母、であると言う。

故に、菩薩道を学ぶ者は、特に、この点をしっかりと

実践して頂きたい。(つづく)

    (台湾高雄文殊講堂 慧律法師著

    翻訳文責Pañña-adhika sayalay)