Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―37(シリーズ最終版)

三、結論

皆さんは、心の内部から、仏が教えた法を体験するべきだ。

自発的な心で、自ら体験し、心の深い所で変容する事がない

ならば、修行者とは言えず、ただ仏と縁を結んだだけなのだ、

というしかない。

仏法は単刀直入、心性の上に利益をもたらす事が出来る。

それは無相の上に顕現するべきであって、表層意識の浅い

ところで恰好だけバタバタするものではない。

もし何か事件に巻き込まれて、ただひたすら相手を責める

だけであったならば、あなたは生きていくのがつらくなる

に違いない。

光を自分の方へ回して返照して、自分の間違いを認める

ならば、苦痛は減少する。どのような事柄にであっても

「私が悪い」「すみません」という。

そうすれば、あなたは楽しくなる。何事も他人を責め続けて

いたならば、あなたの心が楽しくなる事はない。

故に、「すみません」「私が悪いです」「じっくり反省します」

と言い、心を楽にして、楽しく生きるのがよい。

あなたが、永遠に他者を責め続けるならば、あなたは永遠に、

苦痛の深淵から抜けだす事はない。

どうしてか?

あなたの心が、攻撃性と他者への愚痴・傷害で一杯だからである。

生死の根本は「貪愛」にある。

すでに多くを擁しているのに、貪欲が止らない。

欲望が多いほど、苦痛も多くなる。これは自然の法則である。

故に、我々は命を掌握するのにシンプルに生きるのが、よい。

仏陀も言っている「実際、生活とは本来非常にシンプルなもの

である。ただ、我々がそれを複雑にしてしまっただけだ」と。

もし生死の観念を一刹那に濃縮する事ができたならば、

生あれば死ある事が分かり、そうすれば、あなたが今日遭遇

する順境や逆境、是非は、相対的なものである事が分かる。

生から死への過程の中で、我々は必ず逆境に出会い、

苦痛に出会い、病苦に出会う。

あなたに一日中反対する人もいれば、あなたを認めてくれる人

もいる。故に、縁起の空性の道理を悟り、空を観じて(執着を)

放下する事。

こうすれば、自ずと、現実的かつ超越的な、自在な心を

擁することができる。(全編翻訳終了)

     (台湾高雄文殊講堂慧律法師著

         翻訳文責Pañña-adhika sayalay)