昨日ブログで、次回よりブッダダーサ比丘の「生活の中
の縁起」(原題「生活中的縁起」台湾にて出版)を翻訳
します、と予告しました所、一読者から「輪廻を否定する
ブッダダーサの見解は間違っている」というご指摘を
受けました。
ブッダダーサは、仏陀の説いた12縁起を日常生活に応用す
る事に力点を置き、12縁起を、三世両重の説明に使う事に
反対しています(輪廻そのものを否定していないのですが、
なぜか日本では<ブッダダーサは輪廻を否定している>
事になっているようです)。
仏陀の説いた12縁起は、輪廻の原理を説明するのにも、
日常生活の刹那刹那の心の動きを説明するにも使えます。
私の理解では、仏陀の教えにおいて、三世両重(輪廻)に
重点を置き過ぎると一つの問題がおきます(何事も過ぎると
弊害がでます)。
「あの人とは前世で、来世で出会ったら、仲良くしよう、
と約束していたから、今世で彼女と不倫してよいのだ
(彼女と会う前に結婚してしまったのだから仕方ないでしょ)」
「私は(不倫ではなく)前世での約束を守っているだけだ」
という風に、縁起と業説を、自己の不当な行為の正当化に
用いる人がいます。
ブッダダーサはその風潮を諌めるために「生活の中の縁起」
を書いたのではないか、と私は推測します。
アーチャン・チャー始め、タイ仏教は余り輪廻の話を
しないようです。そんなの当たり前であって、それよ
りも、今日一日正念(サンマサティ)、覚醒を保って
生きようよ、という事だと思います(仏陀が「輪廻は
あるのか、ないのか」という質問に対して、無言を
貫いた逸話とも、通底します)。
ブッダダーサの「生活の中の縁起」が皆様の、
暴流を渡る筏として役に立つか立たないかは、
読者お一人お一人が、ご自身で判断されて下さい。
(ちなみに、この本を私に渡して、翻訳するように
勧めてくれたのは、パオメソッドを修行している
台湾人尼僧です。改めて御礼申しあげます)。