Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー30

縁起とは何か?

もし人が「縁起とは何ですか?」と問うたら、我々は:「縁起とは、

苦の生・滅がどのように発生するかを、非常に詳細に指摘したもの

です」と答える事ができる。

それは、苦の生と滅は、依存し合って、流転・捻転する自然現象で

あって、超能力や神様や霊魂、またはその他の何かによって苦が

生起したり、または苦が滅したりしているのではない、ということ

を示している。

縁起とは、相互に依存しながら発生する所の自然現象であり、そ

れぞれの段階(における現象)が、それぞれに依存し合いながら

生ずる時、苦はそれとともに生起するか、または消失する。

いわゆる「縁起」のうち、「縁」とは、相互に依存することをいい、

「起」とは同時に発生する事を言う。縁起とは条件に依存しあいながら、

(ある事柄が)捻転と発生することをいう。

縁起はまた、「人」「自我」「衆生」の存在など、ないのだといい、

一切はただ自然に生じ、住し(しばしその状態にとどまる事)、

滅しているにすぎない、という。

もし、縁起について、明瞭な理解を得る事ができたならば、以下の事も

理解できる:すなわち「自我を持つ個人というのは、ない」

「自我を持つ私と言うのは、ない」「衆生というのは、ない」と。

人々がこのことを理解しない時、通常の、無知(無明)なる思想に

引きずられて、(心が)何事かを感じるが、その時には「人がいる」

「私がいる」「衆生がいる」という感覚を持ってしまう。

縁起は:苦がどのように生じ、滅するのか、また、苦の生と滅は、

因縁条件が相互に依存し合って生じるものであり、「人がどうした」

とか「私がどうした」とか「衆生がどうした」とか、

論ずる必要もないのである、と言う事を指摘している。

そのほかに、捻転として、お互いに依存しあって生じる生と滅の現象

は、稲妻の如くに迅速で激烈であり、それ故に、皆さんには、注意を

払っていただきたい事がある。

それはすなわち、(頭に浮かぶ)考えや思いの生起は、非常に迅

速で強烈で、たとえば、怒りの発生は、稲妻のの如く、迅速で激烈

である事。日常生活の中で、心の内部の作用は、稲妻の如くに出現

し、そして苦を形成する。

苦を形成するその瞬間が、まさに<縁起>なのである。

もし、あなたがそれを観る事ができるならば、大いに恐怖する事

であろう。しかし、もし気づくことができないならば、まるで

何事もなかったように、生きていくこともできる

もし、縁起とは何か、と問えば、通俗的な言葉で答えるならば、

苦を造り出す心理作用は、稲妻の如く迅速で、強烈で、そして

それは、我々の日常生活の中に潜んでいるものである、という

ふうに、言える。(つづく)

訳者コメント:世界はすべて、電気的エネルギーで出来ている

という、最近の素粒子物理学の本を読んでいると、ゴータマ

仏陀の先見の明に、感動してしまいます。カミオカンデなんて

大層な実験設備がなくても、瞑想で分かる、という所が、また

すごい(笑)。

 

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)