縁起とは何か?
もし人が「縁起とは何ですか?」と問うたら、我々は:「縁起とは、
苦の生・滅がどのように発生するかを、非常に詳細に指摘したもの
です」と答える事ができる。
それは、苦の生と滅は、依存し合って、流転・捻転する自然現象で
あって、超能力や神様や霊魂、またはその他の何かによって苦が
生起したり、または苦が滅したりしているのではない、ということ
を示している。
縁起とは、相互に依存しながら発生する所の自然現象であり、そ
れぞれの段階(における現象)が、それぞれに依存し合いながら
生ずる時、苦はそれとともに生起するか、または消失する。
いわゆる「縁起」のうち、「縁」とは、相互に依存することをいい、
「起」とは同時に発生する事を言う。縁起とは条件に依存しあいながら、
(ある事柄が)捻転と発生することをいう。
縁起はまた、「人」「自我」「衆生」の存在など、ないのだといい、
一切はただ自然に生じ、住し(しばしその状態にとどまる事)、
滅しているにすぎない、という。
もし、縁起について、明瞭な理解を得る事ができたならば、以下の事も
理解できる:すなわち「自我を持つ個人というのは、ない」
「自我を持つ私と言うのは、ない」「衆生というのは、ない」と。
人々がこのことを理解しない時、通常の、無知(無明)なる思想に
引きずられて、(心が)何事かを感じるが、その時には「人がいる」
「私がいる」「衆生がいる」という感覚を持ってしまう。
縁起は:苦がどのように生じ、滅するのか、また、苦の生と滅は、
因縁条件が相互に依存し合って生じるものであり、「人がどうした」
とか「私がどうした」とか「衆生がどうした」とか、
論ずる必要もないのである、と言う事を指摘している。
そのほかに、捻転として、お互いに依存しあって生じる生と滅の現象
は、稲妻の如くに迅速で激烈であり、それ故に、皆さんには、注意を
払っていただきたい事がある。
それはすなわち、(頭に浮かぶ)考えや思いの生起は、非常に迅
速で強烈で、たとえば、怒りの発生は、稲妻のの如く、迅速で激烈
である事。日常生活の中で、心の内部の作用は、稲妻の如くに出現
し、そして苦を形成する。
苦を形成するその瞬間が、まさに<縁起>なのである。
もし、あなたがそれを観る事ができるならば、大いに恐怖する事
であろう。しかし、もし気づくことができないならば、まるで
何事もなかったように、生きていくこともできる。
もし、縁起とは何か、と問えば、通俗的な言葉で答えるならば、
苦を造り出す心理作用は、稲妻の如く迅速で、強烈で、そして
それは、我々の日常生活の中に潜んでいるものである、という
ふうに、言える。(つづく)
訳者コメント:世界はすべて、電気的エネルギーで出来ている
という、最近の素粒子物理学の本を読んでいると、ゴータマ
大層な実験設備がなくても、瞑想で分かる、という所が、また
すごい(笑)。
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)