Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー32

当時、比丘たちは、ティッサ比丘に、邪見を放棄するように

勧めたが、ティッサ比丘は邪見に固執し、自己の主張を

墨守したため、比丘たちは、仕方なく仏陀に訴えた。

仏陀は、テッィサ比丘を呼んで、彼に訊ねた「あなたは

本当にこういう考え方を持っているのですか?」

ティッサ比丘「ほかならぬ<識>が輪廻の中で流転して

いるのです」

仏陀「では、あなたの言う識とは何ですか?」

比丘「尊敬する仏陀、それは話せ、感じ取る事ができ、

一切の善悪の業を受け取る主体の事で、これが識です」。

これは非常に厳重な邪見である:識自身によって、

我々は言葉が話せるようになり、感覚を感じれるように

なり、後の日の一切の果報を受け取る、とは。

普通の、一般の人々は、これがなぜ邪見なのか、

判断することができない。というのも、これらの人々は、

ティッサ比丘と同じように、識とは恒常的に存在している

のだと、思っているから。

<恒常>であると思い続けて習慣化し、その結果、これが

邪見であると気が付かないのである。

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)