Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー46

縁起の各支分の説明~~

これから、私は縁起の各支分について、皆さまが縁起を正確に

理解できるよう、こまかく説明する。縁起の経文を暗記できる

人は非常に幸いだ。そうすれば、比較的容易に縁起を理解でき

るから。

私はこれから縁起の説明をするが、暗記できていない人に、

私はこれ以上の援助は、できない。

私は、これから縁起の説明をする。どれだけ利益を受けられる

かは、皆さま次第という事になる。

私は無明から話を始め、縁起の本質について説明する。

[無明]

無明とは何か?無明とは「苦」を知らず、「集」を知らず、

「滅」を知らず、「道」を知らない事。

この四種類の無知を、無明と呼ぶ。

無明がある事によって、行が生じる(無明縁行)。

[行]

行とは何か?仏陀は言う:「比丘たちよ!三種類の行があり

ますーー身行、口行、意行です」と。パーリ経典の中で仏陀

述べている行(saṅkhāra)とは、身体、口、意を惹起する

事のできる作用の事だと説明されている。

しかし(タイの)仏学院では《清浄道論》に基づいて、行は

「福行」「非福行」と「不動行」であると、説明されている。

この二種類の説明の仕方はお互いに異なるが、また、重複して

いる部分もあり、詳しい説明が必要である。

ここで明らかにしておかねばならないのは、縁起を三世輪廻と

解釈したい人々の多くは、行を福行、非福行と不動行として

理解したがる傾向にある、という事。

ただし、パーリ経典の中で、仏陀が言っているのは、行とは、

身行、口行及び意行である。

行ある事によって、識が生じる(行縁識)。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)