Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー47

[識]

識とは何か?仏陀は6種類の識がある、と言った。すなわち、

眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。

縁起を、三世輪廻の事として理解したい人は、(《清浄道論》

までもがそういうのだが)識をば、結生識として解釈している。

そして、そのことによって、後期の論著もまた、識をば、結生

識だと解釈している。

というのも、彼らは、6識を用いて、どのように三世輪廻を

説明すればいいのか、分からないでいるからである。

解説する人が来世を信じているために(訳者注)、識を結生識

と解釈している訳であるが、これでは、本来の縁起が意味して

いる事とは、全く別の事柄になってしまう。

仏陀の言う識は、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。

それなのに、我々は、識を結生識と解釈してしまっている。

識があることによって、名色が生じる(識縁名色)。

(つづく)

(訳者注)下線を引いた、ここの所だけを見ると、ブッダダーサ

尊者は、三世輪廻を否定しているように理解されます。

しかし、彼は常見を否定すると同時に、断見も否定しているので、

その事から、三世輪廻の存在そのものを否定している訳ではない事

が分かります。彼は、仏陀の発見した縁起説は、刹那に

生・滅する、<今・ここ>の五蘊を問題にしているので

あって、縁起説を、三世輪廻に当てはめてはならない、と

言っているのだと私は理解しています。三世輪廻を否定するのが

科学的とばかりに、ブッダダーサ尊者を輪廻否定論者だ

とみなすのは、仏教の本質をみていないと、考えられます

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)