[識]
識とは何か?仏陀は6種類の識がある、と言った。すなわち、
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。
縁起を、三世輪廻の事として理解したい人は、(《清浄道論》
までもがそういうのだが)識をば、結生識として解釈している。
そして、そのことによって、後期の論著もまた、識をば、結生
識だと解釈している。
というのも、彼らは、6識を用いて、どのように三世輪廻を
説明すればいいのか、分からないでいるからである。
解説する人が来世を信じているために(訳者注)、識を結生識
と解釈している訳であるが、これでは、本来の縁起が意味して
いる事とは、全く別の事柄になってしまう。
仏陀の言う識は、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。
それなのに、我々は、識を結生識と解釈してしまっている。
識があることによって、名色が生じる(識縁名色)。
(つづく)
(訳者注)下線を引いた、ここの所だけを見ると、ブッダダーサ
尊者は、三世輪廻を否定しているように理解されます。
しかし、彼は常見を否定すると同時に、断見も否定しているので、
その事から、三世輪廻の存在そのものを否定している訳ではない事
が分かります。彼は、仏陀の発見した縁起説は、刹那に
生・滅する、<今・ここ>の五蘊を問題にしているので
あって、縁起説を、三世輪廻に当てはめてはならない、と
言っているのだと私は理解しています。三世輪廻を否定するのが
科学的とばかりに、ブッダダーサ尊者を輪廻否定論者だ
とみなすのは、仏教の本質をみていないと、考えられます。
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)