Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー54

「喜(好ましいという思い)」が意味するのは、満足の中に

迷う事。仏陀の説では:「『喜』とは取である。我々が、

何かの物事に満足する時、我々はその事柄に執着した、

と言う事を意味する。受の中には必ず『喜』があり、

ゆえに『喜』は取なのである。我々に受がある時、その時

その場に『喜』があり、また、取もある事になる。すなわち、

『取』ある時有あり、有ある時、生あり、生ある時、

老死ある』。これが苦である」。

ここでは、有と生は、受・愛・取から来ている事を言っており、

別に死後、どこかに生まれ変わるのを待つ必要は、ない。

有と生はいつでも生起する。

一日の内に、何度生起しているか、分からないくらいである。

一たび、無明と相応する受がある時、ある種の迷いの心である

「喜」が生じるが、これが執着である。

この次に、引き続いて生起するのが、有と生である。

こういう事から、今、ここにおいて、有と生は生起し、

一日の内にどれ程多く生起しているか、分からないほどだ。

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)