wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー80

(中略)

簡単に言えば、縁起の生起は、正念がないために、好悪の心が

生じる事が原因であるが、人々は、どのように正念を打ち立て

てよいのか知らず、また、苦を滅する「心解脱」も知らない。

心の中にある種の要素がある時、縁起は生起し、その作用は、

この生、この地、この刻においてであり、それは死に至るまで

相続するが、何度の縁起があるのか、幾十度あるのか、幾百度

あるのか、幾千度あるのか、分からないくらいである。

この事から、縁起について、三世を貫通するのだという解釈は、

決定的に間違っているの事がわかるのである。

縁起は稲妻の如く生滅する~~

次に、更に重要な説明に突入する。

毎回の縁起の生起は、迅速すぎて、我々には知覚する事が

できず、それは、稲妻の様だ、と言える。稲妻は極めて迅速で、

一瞬の内に消失する。それほどの短い時間の中で、11種類の

状況が、または12の支分が、順序に従って発生するが、

余りに速すぎて、我々は察知する事ができない。

例えば、我々は、一たび怒ると、すぐに苦が生じる。

ただの一刹那の内に、我々はすでに、怒りの炎の

中で苦を受けている訳で、このようにして、

一度の縁起は完結する。

我々は、一刹那の間に、すべての、11種類の状況が、

全に、順序に従って、生・滅しているのを知らない

(無明から始まり、行、識、名色、六入、触、受、愛、

取、有から生まで、一刹那の内に、11種類の状況は、

完全に具備される)。

例えば、我々の目が外境に接触する一刹那の間に、即刻に、

一回の、完璧な愛(渇愛)または瞋恚が発生するが、

この過程は、稲妻のように迅速である。

この瞬間は、11種類の状況に分析する事ができるが、

これこそが縁起なのである。

以前に述べたように、仏陀が述べた世間、世間の初因、

世間の滅尽、及び世間の滅尽する道(=方法)については、

《相応部》因縁篇家主品第四世間の中に書いてあるが、

仏陀は以下の如くに、縁起に基づいて、世間、世間の生起、

世間の滅尽と滅尽の方法を宣言している。

 

比丘たちよ!世間とはいかにして生じるのか?

目と事物が相接すると眼識が生じ、その三者の結合が

すなわち、触である。

触が縁となって、受が生じ、受が縁となって愛が生じる。

愛が縁となって取が生じ、取が縁となって有が生じる。

が縁となって生が生じ、生が縁となって老病死が生じ

こに、純なる大苦の聚が集する。

比丘たちよ!これが世間の生起である。

 

通常、縁起の生起とは、仏陀の言う所の「世間の生起」を意

味するのである。苦の生起とは、世間の生起であり、

その一切は、他でもなく、六入(根)と外境(塵)の接触及び

識の発生によって、生じるものなのである。

我々にとっての困難は、縁起の流転が稲妻の如くに迅速で

ある事が原因で、無明から行、識、名色及び六入が造作

される内に、あっという間に二、三、四種類の状況が

続しながら発生するため、我々が、それらを区別する

ことができない事である――我々が最初に察知するのは、

受ーー苦受、楽受で、心情が愉快であるか、憂鬱であるか、

である。

間の滅尽も同じ事であって、無明が滅すれば行が則ち滅し、

行が滅すれば則ち識が滅し・・・など、これは苦の滅尽である。

世間の発生と滅尽について、仏陀は、このように説明している。

世間の発生と滅尽は稲妻のように迅速であるため、もし、

別に注意深くなければ、縁起の迅速さを理解する事、

縁起が、11種類の状況を具備している事を、理解する事は

できないのである。(つづく)。

台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)