Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー84/92

上記(No83)は、縁起の意義における識の説明であった。

行が引き起こす識は、結生識ではない。しかし、ただ日常用語

しか知らず、かつ自我、主体があって、それが三世で輪廻して

いると思っている人が、識をば、結生識であると、改竄した

のである。

私はここで、再度説明したいと思うが、どのような識であっても、

もしも、縁起の中で取、有、生の作用を引き起こすものであれば、

必ず、先に述べた方式で作用するものであり、もし、それの、

連続して不断に「我」を生じせしめるという(=働きの)観点

から言えば、それを「結生識」と呼ぶことは、できる。

皆さんに知ってもらいたいのは、食べ物を咀嚼する事から

生起される貪と喜、そして、増長する事のできる識は、

普通の識であって、一般の人々が言う所の、結生識ではない。

これらの、縁起する普通の識は、縁起に従って、有と生を

造作する事ができ、今、ここにおいて、非常に多くの、

有と生が生起する。

「名色の投入」という言葉の意味は、口の中で食べ物を

咀嚼していて、美味しいと感じた時点で、名色が投入され

(=名色に変化が起こる)、かつ、その時点でそれ(縁起)

の作用は完璧に運行されるのであって、一般の人々が言うような、

名色とは、死後、お棺に入った後にだけ、新しい名色が、

次の生を受ける、という事では決して、ないのである。

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)