縁起の輻射輪~~~~
縁起の中の縁起~~
<〇無明→行→識→名色→六入→触→受→愛(渇愛)→取→
有→生→老死→<苦>→信→悦→喜→軽安→楽→サマーディ→
如実知見→厭離→離貪→解脱→滅尽智→涅槃〇>
(ヒキガエルの頭の上の宝石、〇を発見できた人は自在である)
修行の根本的原則は、相当に奇異である。
私はそれを、縁起の輻射輪(Radiant Wheel)と呼んでいる。
それは縁起の流転から始まり、その後に縁起の還滅に流入する。
面白い事に、それは「苦の功徳」を表現している。
仏陀は、その奇異な<苦の滅の次第>を宣揚した。
彼は言う:「智者または如実観者には、私は漏(āsava)の
止息について語るであろう。無智なる者、如実に観ずることの
ない者には、私は、漏の止息について、語る事はない」。
一人の人間が、諸蘊の生起と滅尽の如実なる現象を見る時、
漏は止息する。有漏に関する止息につて、仏陀は、一人の
人間が、如実に観照する事ができるか、または五取蘊ーー
色、受、想、行、識ーーの生起と滅尽を覚知、悟る事が
できるならば、漏は止息する、と言う。
ある人が、確かに、これらの現象を明確に了解する
ならば・・・、それらがいかにして生起し、滅尽するかと
いう如実なる現象を了解するならば、それは漏の止息である、
といえる。
というのも、それらの智慧があれば、漏は、ことごとく
除かれるからである。
仏陀は、彼がこの事実を説明する事が出来るのは、この事実
を照見し、この事実に覚醒したからである、と言った。
彼が、この事実を照見した事がなく、この事実に覚醒した事が
ないのであれば、彼は決して、この事を宣揚する事はない。
(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)