wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー86/92

縁起の輻射輪~~~~

縁起の中の縁起~~

 

<〇無明→行→識→名色→六入→触→受→愛(渇愛)→取→

有→生→老死→<苦>→信→悦→喜→軽安→楽→サマーディ→

如実知見→厭離→離貪→解脱→滅尽智→涅槃〇>

(ヒキガエルの頭の上の宝石、〇を発見できた人は自在である)

 

修行の根本的原則は、相当に奇異である。

私はそれを、縁起の輻射輪(Radiant Wheel)と呼んでいる。

それは縁起の流転から始まり、その後に縁起の還滅に流入する。

面白い事に、それは「苦の功徳」を表現している。

仏陀は、その奇異な<苦の滅の次第>を宣揚した。

 

彼は言う:「智者または如実観者には、私は漏(āsava)の

止息について語るであろう。無智なる者、如実に観ずることの

ない者には、私は、漏の止息について、語る事はない」。

 

一人の人間が、諸蘊の生起と滅尽の如実なる現象を見る時、

漏は止息する。有漏に関する止息につて、仏陀は、一人の

人間が、如実に観照する事ができるか、または五取蘊ーー

色、受、想、行、識ーーの生起と滅尽を覚知、悟る事が

できるならば、漏は止息する、と言う。

ある人が、確かに、これらの現象を明確に了解する

ならば・・・、それらがいかにして生起し、滅尽するかと

いう如実なる現象を了解するならば、それは漏の止息である、

といえる。

というのも、それらの智慧があれば、漏は、ことごとく

除かれるからである。

仏陀は、彼がこの事実を説明する事が出来るのは、この事実

を照見し、この事実に覚醒したからである、と言った。

彼が、この事実を照見した事がなく、この事実に覚醒した事が

ないのであれば、彼は決して、この事を宣揚する事はない。

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)