結論~~
縁起について、我々は、このように言う事が出来る。
1、六根が六境に接触して、縁起の流転または還滅が
生じる時、世間、世間の初因、世間の滅尽及び世間の
滅尽に向かう道、そのすべてが発生する。
これらすべては、この、イキイキとした六尺の体内に
あり、死後にある訳では、ない。
2、縁起における各種の状況は、決して、日常用語で
言う所の、三世三世につながる、または何かの一生、
何かの一世につながるものでは、ない。
「縁」という言葉の解釈において、来生、来世につながると
言う事はできない。
「縁」というこの文字の意味は、お互いに依存し合っている、
という事であり、それは、ある事柄が、不断に、絶えること
なく、お互いに依存し合っており、一つながりになって依存
し合っている事を言うのである。
それは、比喩で言う所の、太陽があるので、世界がある;
世界があるので、世界には水がある;世界に水があるので、
水の蒸発がある;水の蒸発があるので、雲がある;
雲があるので、雨がある;雨があるので、雨が降る;
雨が降るので、路面が濡れる:路面が濡れるので、Aさんが
滑った;Aさんが滑ったので、頭に怪我をした;
Aさんは、頭に怪我をしたので、病院に行った;
病院に行ったので、医師がAさんを治療した;
医師が治療したので、Aさんの怪我は治った。
(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)