wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー91/92

覚えておいて欲しい!

もし、触が非常に強烈である時、(人に)吃驚するような

感覚が生じる。我々が、ある物を見たり、ある事柄を聞い

たりする時、または何かの事件を見た時、吃驚したり、

身の毛がよだつような感じがする場合、それは、触が

非常に強烈であるからである。

行が、びっくりする識を発展させるが、この短い時間の間に、

縁起はすでに、多くの回数、流転している。

無明が行を発展させ、行は識を発展させ、識は名色を発展させ、

名色は六入を発展させ、強烈に驚く所の触にまで誘導する。

もしそれが強烈過ぎて、我々を驚かすならば、これらの出来事は、

必ずやすべて、縁起の正確な順序に従って、発生しているもの

なのである。

4、縁起は、苦、苦の生と滅の事実を展開する。それは、別に、

我々に「人」が苦の主人であると知らせる事はなく、苦が発生

した時、そこには、受苦する人はいない。

注意して!

皆さんが、縁起が展開する所の苦の生と滅を理解するよう

希望します。

ある「人」が生・滅する苦の主人である、という事はない。

縁起は同時に、詳細で、実用的な因果法則を示しているが、

ただ縁起だけが、この種の真理を、展開する事ができる。

最後に、私は自分の間違いを認め、皆さんに懺悔したいと思う。

私は以前、仏陀の本懐ではない誤った縁起を研究していたが、

それは、当時、私は学生で、私には他に選択の余地がなかった

ためである。

後に、私は一年間、仏法を教える教師になり、三世を貫通する

縁起を教えていた時代もある。ここにおいて、私は自分の過ち

を認め、懺悔と寛恕を求めるものである。私はすでに、

何十年の時間をかけて、縁起を研究してきたが、それは、

我々の掌握できるものであり、正念を運用すれば、実践できる

ものであり・・・、触の生起するその時その場で即座に、

縁起の流転を防護する事、これが唯一、有益で、実践できる

縁起である事を、私は、確信的に述べる事ができる。

(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)