経文の中にはまた、下記のような記述がある:
於清晨時、仏世尊著好袈裟、拿了鉢与外衣進迦毘羅衛城
托鉢。従迦毘羅衛城托鉢回来、用完餐之後、仏陀即前往
釈迦王子黒安(Kāḷakhemaka)的精舎度過白天。
黒安の精舎は、尼拘陀園の片隅にある。そこには塀があり、
大きな門があり、鷲形(haṁsavattaka)という名の建築物、
殿堂、食堂等々があった。
当時、釈迦王子黒安的精舎備有許多休息処。
当時、そこには、多くのベッド、椅子、マットレス、枕、
草製のゴザ、皮製のゴザ、および地面に敷く草ムシロ、
葉製ムシロ、藁製ムシロなどがあった。それらが、密接に
繋ぎ合っていて、あるいは床に敷き詰められていて、已に、
社会集団を構成する比丘の住まいのようであった。
当仏陀看到這情形時、他想:「在釈迦王子黒安的精舎裏
備有許多休息処、是否有許多比丘住在此処?」
(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)