諸々の波羅蜜を実践・円満したその目的は、共同生活から
離脱するためであった。比丘たちが一たび群れを成して、
共同生活を送り、共同生活を楽しむようになると、彼らは
波羅蜜の実践という目的から離反してしまう。」
当時、正法に思いを寄せていた仏陀は、またこうも考えた。
「もし、一つの戒を設けて、二人の比丘が一緒に住んでは
ならないとすることができるならば、私はこのようにしたい。
しかし、これは不可能だ。故に、私は弟子たちに、大空という
名の経を開示して、彼らを訓練しようと思う。この経は、
戒を定めたと同じ効果があり、それは、城門の前に置いた
大きな鏡のようだ。今後、刹帝利(貴族)などが鏡を見て、
自分の汚点を見つけた時、即刻それをふき取って、汚点の
残らないようにするように、私が般涅槃に入った後の5000年
の間、(独り)静かに暮らしたいと思う弟子は、この経を聞いて、
共同生活から遠く離れ、そのことによって、生死輪廻の一切の
苦しみを断ずるであろう。」
その後、仏陀の願いを如実に実現するかのように、この経を
聞いて、共同生活から離れ、生死輪廻の一切の苦を断じ、
般涅槃を証した弟子は、数えきれないほどであった。
ある時、スリランカの Vālikapiṭṭhi寺 に住む、アビダンマ
論学者の無畏長老は、雨安居に入った時に、何人かの比丘と
一緒に、この経を読んだ。
読んだ後に彼は言った:「仏陀はこのようにしなさいと
述べたのに、我々は一体どのような暮らしをしている
というのだろうか?」
その後、共同生活から離れ、(仏陀の)独り静かに暮らす
事を楽しむ教えに従ったので、彼らは皆、当該の雨季の内に、
阿羅漢果を証した。
故に、この経は「共同生活を解散する者(の経)」とも呼ばれる。
( )内は訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)