解説~
註疏では、「内空」を自分自身の五蘊の空、「外空」を他人の
観照してそれを無我と知り、このようにして修習された観禅
によって、暫定的に到達された心解脱の事を言う。
無我を観照する観智が道智の段階に到達した時、それは、
涅槃空の一面を体験する果智を生起させる。
内外の五蘊~
蘊には五蘊と五取蘊(upādānakkhandaā)があり、五取蘊は、
観智の目標である。観禅を修習したいと思う比丘は、先にこの
五取蘊を識別しなければならない。
何故か?
私は、簡単に説明してみたい。
《相応部・蘊品・蘊経》の中で、仏陀は言っている:
「一切色、無論過去、未来或現在、内或外、粗或細、近或遠、
劣或勝、都称為色取蘊。它是煩悩的目標、及受到渇愛与
邪見執取『這是我的;這是我』等々。
這11種色是色取蘊。同様地、11種受(vedanā)、11種想(saññā)、
11種行(saṅkhāra)、11種識(viññāṇa)分別称為
受取蘊(vedanā-upādānakkhandhā)、
想取蘊(saññā-upādānakkhandhā)、
行取蘊(saṅkhāra-upādānakkhandhā)、
識取蘊(viññāṇa-upādānakkhandhā)。
なぜ以上のように言うのか?暫く、註疏の解釈に
耳を傾けてみよう。
(つづく)
訳者コメント:仏教書を読んでいると、よく「煩悩」という
言葉が出てきます。日本では、煩悩は108、いや、それ以上、
無限にあって、ちょっとやそっと修行したくらいでは無く
煩悩は108個あると言うが、それには根拠があり、内に生
じる煩悩、外が原因で生じる煩悩、過去のもの、
現在のもの、未来のもの、などと具体的に数えていき、
それには108(=6*2*3*3)という限度がある故、いつかは
なくすことができる、いつかは煩悩から解脱する事ができる、
と言う。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)