道の生起または出現を導く観智~
この教えでは、ある人々は、初めに、内行法または五蘊を識別する。
それらを識別した後、次に彼は、それらを無常・苦・無我として
観照する。しかし、聖道は、ただ内(行法)を観照しただけでは
生起したり、出現したりしない。というのも、そのためには、
外(行法)も観照しなければならないからである。
故に、彼は、他人の五蘊及び非有情の色法もまた無常・苦・無我
を観照する。彼がこのように観照していて、もし観智が、
彼が内を観照している時に、聖道と連結したならば;彼を
「先に内を観照した後、それが内から生起した(+人)」と呼ぶ。
もし、観智が、彼が外を観照している時に聖道に連結したならば、
彼を「先に内を観照した後、それが外から生起した(+人)」と
呼ぶ。
「先に外を観照した後、それは外から生起した」と「先に外を
観照した後、それは内から生起した」も、先に準じて、
同じように理解するべきである。
また別の人々は、色法を識別する所から開始する。その後、
次に彼は、四大界とそれらの所造色がすべて無常・苦・無我で
あると観照する。しかし、聖道は、ただ色法を観照しただけでは
生起或いは出現しない。というのも、名法も観照しなければなら
ないからである。故に、彼は、当該の色法を目標として生起する
名法、すなわち、受、想、行、識をも観照する。
彼は一時、色法を観照し、一時、名法を観照する。
彼がこのように観照する時、観智が、彼が色法を観照している時に、
聖道と連結する;そのため、彼を「色法を観照した後、それが色法
から生起した(+人)」と呼ぶ。もし、観智が、彼が名法を観照
している時に、聖道と連結したならば、彼を「先に名法を観照した後、
それが名法から生起した(+人)」と呼ぶ。
「先に色法を観照した後、それが名法から生起した」と
「先に名法を観照した後、それが色法から生起した」も、
先に準じて、同様に理解しなければならない。
(《殊勝義註》《清浄道論》参照の事)。
観禅を修習する時、あなたは上述の、註疏に記載されている
重用な指摘に留意しなければならない。
内または外のみを観照するだけでは、涅槃に到達する事は出来ない。
あなたは尊敬の念をもって、以下に指摘する内容に対応しなければ
ならない。(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)