Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-25

三相~

ある比丘は、修行の開始において、諸行法をば、無常と観照する。

しかし、聖道は、ただ無常を観照したからといって、生起または

出現することはない。というのも、苦と無我も観照しなければ

ならないからである。

故に、彼は、それらを苦、無我として、観照する。このように

観照する時、観智は、彼が、それらを無常として観照している時に

聖道と連結する;ゆえに彼は、「先に無常を観照した後、それが

無常から生起した(+人)」と呼ばれる。もし、その観智が、

彼が苦または無我を観照している時に、聖道と連結したならば、

彼は「無常を観照した後、それが苦または無我から生起した(+人)」

と呼ばれる。

「先に苦及び無我を観照した後」の生起についても、同じように

理解しなければならない。

このような事から、比丘は、行法と言われる、内と外の五蘊の両者

の無常・苦・無我を順序良く観照しなければならない。

彼が諸行法の内に、捨に到達した時、その観智は頂点に達し、

かつ、(聖道の)生起を誘発する。その時、彼は、諸行法の無我を

観照する事に、重きを置く。これが空であり、無我(anatta)である。

私はここで、《大空経》に戻る事にする。この経から、あなた方は、

上述の法話の意味内容を、理解することができるはずである

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)