Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-27

基礎禅~

「当時、該比丘応如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注

於該相同的定之相。」

「如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注於該相同的

定之相。」とは、観禅の基礎となるジャーナの事を指している。

これは、自分自身の、未だ十分には慣れ親しんでいない基礎禅から

出定した後、彼(修行者)は、心を内に向けて空を観照するが、

しかし、その心は空に入り留まることができない、という事を

言っている。

その時、彼は心で思う:「他人の五蘊の相続流を観察したら、

どうだろうか?」それで、彼は心を外に向けて空を観照するが、

その心はまたもや、空に入り留まる事ができない。その時、彼は心

で思う:「一時、自分自身の五蘊の相続流を観じて、次に他人の五蘊

の相続流を観ずると、どうなるだろうか?」こうして、彼は心を外に

向けたり内に向けたりして、空を観照しようとするが、その心は、

やはり、空に入り留まる事ができない。

双方解脱者になりたい(+彼は)、又心でこう思う:

「不動を観ずれば、どうなるだろうか?」故に彼は心を不動に向けて

観照したが、その心は、なおも空に入り留まることができなかった。

このような状況の下では、彼は自分の努力を放棄するわけにはいかな

い(+のである)。彼は禅修を放棄して、群体や社群を楽しんでは

ならないし、在家信者と一緒に、社群を楽しんではならない(+のである)。

彼は、同一の基礎禅を不断に繰り返し修習し、徹底的にその基礎禅を

修習しなければならない。

それは、仏陀如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注

於該相同的定之相。」等々と言った通り、それは、例えば、樵の持って

いる斧が鋭くなく、効力がない時、斧を研磨して鋭くすれば、

木を切り倒せるが如く、不断に同一の基礎禅を繰り返し修習すれば、

心がその業処に対して、有効になるのと同じである。

これらの教えに基づけば、もし、あなたの基礎禅が安般第四禅で

あるならば、あなたは、不断に、何度も、当該のジャーナに

入らなければならない(+のである)。

何故か?

定のある比丘は、諸法を如実に知見できるからである。

故に、あなたは、修行の始まりの時に育成した基礎禅を主に修習し、

不断にそれを修習するべきだ。その後でなら、あなたは、観禅の

修習に転換してもかまわない。

引き続き《大空経》を解説するので、よく聞くように。

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)