Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-35

出離思惟~

出離思惟とは何か?

1、出家して、サーマネラか、または比丘になりたいという思いは、

出離思惟である。というのも、それは世俗の生活から離脱する道で

あるから。

2、初禅:もし、比丘が初禅を証することができたなら、その初禅は、

出離思惟と言う。というのも、それは、欲界を離脱する道であるから。

3、涅槃:もし、比丘が涅槃を証したなら、その証悟はもまた出離思惟

と呼ばれる。というのも、この証悟は、彼をして生死輪廻を離脱

させるから。

4、観智:一切の観智は、暫定的に煩悩を断ずる事ができる。

比丘が諸行法の無常・苦・無我の三相を観照している時、暫定的にでは

あるが、彼は、煩悩を断ずる事ができる。

5、一切善法:一切の善なる法は、不善法を断ずる事ができる。

もし、比丘が系統的に(+順序良く)戒・定・智慧の三学を修習して、

五根が成熟した時、彼は、涅槃を証悟する事ができる。

この三学は、善なる法を生じさせることができるし、また、善なる法を

保護する事もできる。

比丘は、上述の五種類の思惟を育成して、出離思惟を完成させるべき

である。特に、彼が止禅または観禅の修習をしている時、当該の出離

思惟は、その心の中に存在するものである。

安般似相等の止禅の目標である尋、及び観禅の目標である名・色と

その因である尋もまた、出離思惟と言う。

故に、あなたが将に、止禅または観禅を修習している時、当該の

出離思惟は、常に、あなたの心の中にあるのである。

(+ )訳者。(つづく

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)