出離思惟~
出離思惟とは何か?
1、出家して、サーマネラか、または比丘になりたいという思いは、
出離思惟である。というのも、それは世俗の生活から離脱する道で
あるから。
2、初禅:もし、比丘が初禅を証することができたなら、その初禅は、
出離思惟と言う。というのも、それは、欲界を離脱する道であるから。
3、涅槃:もし、比丘が涅槃を証したなら、その証悟はもまた出離思惟
と呼ばれる。というのも、この証悟は、彼をして生死輪廻を離脱
させるから。
4、観智:一切の観智は、暫定的に煩悩を断ずる事ができる。
比丘が諸行法の無常・苦・無我の三相を観照している時、暫定的にでは
あるが、彼は、煩悩を断ずる事ができる。
5、一切善法:一切の善なる法は、不善法を断ずる事ができる。
もし、比丘が系統的に(+順序良く)戒・定・智慧の三学を修習して、
五根が成熟した時、彼は、涅槃を証悟する事ができる。
この三学は、善なる法を生じさせることができるし、また、善なる法を
保護する事もできる。
比丘は、上述の五種類の思惟を育成して、出離思惟を完成させるべき
である。特に、彼が止禅または観禅の修習をしている時、当該の出離
思惟は、その心の中に存在するものである。
安般似相等の止禅の目標である尋、及び観禅の目標である名・色と
その因である尋もまた、出離思惟と言う。
故に、あなたが将に、止禅または観禅を修習している時、当該の
出離思惟は、常に、あなたの心の中にあるのである。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)