ここにおいて「他対該事擁有完全的明覚」とは、已に覚知を通して
成就した業処によって獲得した明覚である。それは、彼が『私は五欲の
弦を追及する貪欲を断じたであろうか』というが如くに省察して、
もし、彼が、それらを未だ断じていないと覚知する時、彼は即刻精進
努力し、阿那含道を通して、それらを断ずるのである。
このように、彼は、聖道に従った後に生起する聖果から出定し、
省察した後、彼はそれらを断じたと覚知する。この時、彼は、当該の
事柄に対して完全なる明覚を擁する、という。
上記の事柄は、どのようにして判断するのか?
あなたは、名法、色法及びそれらの因を識別しなければならない。
その後に、前述したように、それらの無常・苦・無我の相を照見し、
又進んで、それらを無常・苦・無我として、何度も観照しなければならない;
これが観禅である。
あなたは、同じ方法によって、過去と未来(の行法)を観照しなければ
ならない。あなたは、一時は過去を観照し、一時は未来を観照し、
一時は現在を観照し、一時は内部を観照し、一時は外を観照しなければ
ならない。(+このようにして)五根が成熟する時、あなたは、阿那含
道果を証悟する事ができる。(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)