梵行者の堕落~
「而梵行者的堕落又如何発生?於此、世間上出現了一位如来、
阿羅漢、正等正覚者、明行足、善逝、世間知、無上師、天人師、
仏陀、世尊。他去到寂静処:森林・・・草堆。当他如此離群
而住時、城鎮及郷村的婆羅門和居士們前来拝訪他。
但他並没有乖離正道、没有貪欲、或向渇愛屈服、或回到奢侈
(的生活)。但該導師的弟子、模倣導師的隠居、去到寂静処:
森林・・・草堆。当他如此離群而住時、城鎮及郷村的婆羅門和
居士們前来拝訪他、結果、他乖離了正道、充満了貪欲、向渇愛
屈服而回到奢侈(的生活)。即是説、這梵行者已受到梵行者的
堕落所毀。他已被造成汚染、導致再生、帯来麻煩、導向未来生、
老、死的不善悪法所撃倒。這即是梵行者的堕落如何発生。
在此、阿難、梵行者的堕落比導師或弟子的堕落有更加痛苦的悪果、
更加難受的果報、甚至会導致堕入悪道。」
どうしてこのように言うのか?
仏陀の教えの外で出家した場合、それは小さな利益しかもたらさない。
何か特別大きな品徳を育成する事は出来ず、ただ八定と如意通を基礎
とした五世間神通があるだけである。このように、人が外道において
堕落する時、それは世間的な成功から堕落するだけである。そのため、
彼は取り立てて大きな苦痛に見舞われる事はなく、それはまるで、人
が驢馬の背中から落ちて、身体が埃まみれになっただけの様である。
しかし、仏陀の教えの中で出家すれば、極めて大きな利益を得る事が
できる。その中の特別に大きな品徳は、四道であり、四果と涅槃で
ある。故に(+例えば)、ある一人の、父母が共に出身が高貴である
所の王子が大象の背中に乗って、町を通り抜けようとしていた時、
大象の背中から滑り落ちたならば、それは大きな苦痛である。
このように、仏陀の教えから堕落した者は、まるで大象の背中から
落ちたのと同じように、極めて大きな苦痛を味わう事になる。
彼がこの教えから堕落する時、彼は、上に述べた如くの、証悟して、
得られるかも知れなかった九つの出世間品徳(lokuttara-guṇa)を
得る機会を失うわけである。
故に、梵行者の堕落は、(+外道の)導師又は弟子の堕落より更に
苦痛が増す所の悪果、非常につらい果報を受ける事になるばかり
ではなく、悪道に落ちる事さえあるのである。
何故か?
資具及び資具を供養する施主に執着する事は不善法であり、もし、
今生の最後の速行心がこれらの不善法であった場合、それらは
(+堕落者をして)四悪道の中の一つに落ち込むように仕向ける
からである。(+ )訳者。(つづく)
訳者コメント:30数年前に私が師事したアーチャン・Kは、若くして
タイで出家した日本人比丘で、貧しい子供達の為の財団を設立した事
もあいまって、タイでは非常に有名でした。
けれど出家 38 年目、還暦を過ぎて、突然、還俗してしまいました。
女性と結婚する為です。当時タイでは賛否両論、喧々諤々、連日、
新聞の一面に報道されるほどの大騒ぎでした。
男性陣の中には「女性が好きになって還俗したのは潔くてよい」と
好意的な意見もありましたが、上記の、パオ・セヤドーの文章を読むと、
考えさせられますね。勿論、渦中のアーチャン・Kと会ってお話した
訳ではないので、彼の真意は分かりません。
今、幸せであればよいですが。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)