wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-46

梵行者の堕落~

「而梵行者的堕落又如何発生?於此、世間上出現了一位如来

阿羅漢、正等正覚者、明行足、善逝、世間知、無上師、天人師、

仏陀、世尊。他去到寂静処:森林・・・草堆。当他如此離群

而住時、城鎮及郷村的婆羅門和居士們前来拝訪他。

但他並没有乖離正道、没有貪欲、或向渇愛屈服、或回到奢侈

(的生活)。但該導師的弟子、模倣導師的隠居、去到寂静処:

森林・・・草堆。当他如此離群而住時、城鎮及郷村的婆羅門和

居士們前来拝訪他、結果、他乖離了正道、充満了貪欲、向渇愛

屈服而回到奢侈(的生活)。即是説、這梵行者已受到梵行者的

堕落所毀。他已被造成汚染、導致再生、帯来麻煩、導向未来生、

老、死的不善悪法所撃倒。這即是梵行者的堕落如何発生。

在此、阿難、梵行者的堕落比導師或弟子的堕落有更加痛苦的悪果、

更加難受的果報、甚至会導致堕入悪道。」

どうしてこのように言うのか?

仏陀の教えの外で出家した場合、それは小さな利益しかもたらさない。

何か特別大きな品徳を育成する事は出来ず、ただ八定と如意通を基礎

とした五世間神通があるだけである。このように、人が外道において

堕落する時、それは世間的な成功から堕落するだけである。そのため、

彼は取り立てて大きな苦痛に見舞われる事はなく、それはまるで、人

が驢馬の背中から落ちて、身体が埃まみれになっただけの様である。

しかし、仏陀の教えの中で出家すれば、極めて大きな利益を得る事が

できる。その中の特別に大きな品徳は、四道であり、四果と涅槃で

ある。故に(+例えば)、ある一人の、父母が共に出身が高貴である

所の王子が象の背中に乗って、町を通り抜けようとしていた時、

象の背中から滑り落ちたならば、それは大きな苦痛である。

このように、仏陀の教えから堕落した者は、まるで大象の背中から

落ちたのと同じように、極めて大きな苦痛を味わう事になる。

彼がこの教えから堕落する時、彼は、上に述べた如くの、証悟して、

得られるかも知れなかった九つの出世間品徳(lokuttara-guṇa)を

得る機会を失うわけである。

故に、梵行者の堕落は、(+外道の)導師又は弟子の堕落より更に

苦痛が増す所の悪果、非常につらい果報を受ける事になるばかり

ではなく、悪道に落ちる事さえあるのである。

何故か?

資具及び資具を供養する施主に執着する事は不善法であり、もし、

今生の最後の速行心がこれらの不善法であった場合、それらは

(+堕落者をして)四悪道の中の一つに落ち込むように仕向ける

からである。(+ )訳者。(つづく)

訳者コメント:30数年前に私が師事したアーチャン・Kは、若くして

タイで出家した日本人比丘で、貧しい子供達の為の財団を設立した事

もあいまって、タイでは非常に有名でした。

けれど出家 38 年目、還暦を過ぎて、突然、還俗してしまいました。

女性と結婚する為です。当時タイでは賛否両論、喧々諤々、連日、

新聞の一面に報道されるほどの大騒ぎでした。

男性陣の中には「女性が好きになって還俗したのは潔くてよい」と

好意的な意見もありましたが、上記の、パオ・セヤドーの文章を読むと、

考えさせられますね。勿論、渦中のアーチャン・Kと会ってお話した

訳ではないので、彼の真意は分かりません。

今、幸せであればよいですが。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)