Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-50

いわゆる「比丘致力於開展増上心」とは何か?

十善業道(dasa-kusala-kamma-patha)に関連する心は、ただ<善心

ある>としか言えない。これらの善心より更に殊勝なる心は、観禅の

基礎となる所の八定の心であり、この殊勝な心こそが、増上心である。

観智に相応する心が増上心である、と言う人もいる。

比丘致力於開展増上心」の意味は:比丘は増上心の育成に努める事を

言う。「五種法」とは、五種類の実際の修行の方法、又は合理的な方法

の事である。  

「有時候」とは、ある種の状況の下で、という意味である。

この事に関して、禅修行者は、時々刻々修行の法門に専注しなければ

ならない、一時も専注を忘れてはならないのではないか?どうして、

仏陀はここにおいて、「有時候(ある種の状況の下で」と言うのか?

(+という疑問が生じる)。

経典の中で、禅定を修行する方法は、38種類にまとめられている。

比丘は、自分の好みで、その中から一つを選び出し、座禅・瞑想して

修行を開始する。もし、彼の心に如何なる煩悩も生起していないので

あれば、彼はこの五種類の法を思惟する必要はない:一たび煩悩が

生起したならば、比丘はこの五種類の法によって、煩悩を追い払う

必要がある。

故に、仏陀「有時候」と言う言い方で、この事を指摘したのである。

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)