いわゆる「比丘致力於開展増上心」とは何か?
十善業道(dasa-kusala-kamma-patha)に関連する心は、ただ<善心
である>としか言えない。これらの善心より更に殊勝なる心は、観禅の
基礎となる所の八定の心であり、この殊勝な心こそが、増上心である。
観智に相応する心が増上心である、と言う人もいる。
「比丘致力於開展増上心」の意味は:比丘は増上心の育成に努める事を
言う。「五種法」とは、五種類の実際の修行の方法、又は合理的な方法
の事である。
「有時候」とは、ある種の状況の下で、という意味である。
この事に関して、禅修行者は、時々刻々修行の法門に専注しなければ
ならない、一時も専注を忘れてはならないのではないか?どうして、
仏陀はここにおいて、「有時候(ある種の状況の下で」と言うのか?
(+という疑問が生じる)。
経典の中で、禅定を修行する方法は、38種類にまとめられている。
比丘は、自分の好みで、その中から一つを選び出し、座禅・瞑想して
修行を開始する。もし、彼の心に如何なる煩悩も生起していないので
あれば、彼はこの五種類の法を思惟する必要はない:一たび煩悩が
生起したならば、比丘はこの五種類の法によって、煩悩を追い払う
必要がある。
故に、仏陀は「有時候」と言う言い方で、この事を指摘したのである。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)