Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-54

心の中に無生物~たとえば鉢、袈裟などに対する貪念が生じた時、

二種類の方法によって、無生物に対する執着を思惟し、それによって

禅修行者は、貪念を駆逐する。

この二種類の思惟とは、主宰者はいない、という思惟と、無常の

思惟である。

《念処経Satipaṭṭhāna Sutta》の註疏の中で、覚支の説明をして

いる部分に、この二種類の思惟に関しての解説が出てくる。

「この鉢は、徐々に退色し、古くなり、亀裂が入り、穴が開き、

最後には割れるか、又は、何かにぶつかって粉々になるだろう。

この袈裟は退色するし、破れるし、後には雑巾になるし、最後には

捨て去るしかないものである。もし、これらの品々に主宰者がいる

ならば、主宰者は、それらが決して破壊されないようにする。

このように、品物には主宰者がいない、という思惟をしなければ

ならない。また、これらの品々は、長く持ち続ける事は出来ず、

短時間で破壊が起こると考え、無常の思惟を起こすこと。」

このように、貪念を引き起こす対象に対して、無常の思惟を

起こすのは、ここでいう「其他対象」に相当する。

心の中に、有情衆生に対して瞋念が起こる時、慈心観

(mettā-bhāvanā)が「其他対象」である。

心の中に無生物に対する瞋念が起こる時、四大分別観が「其他対象」

である。

心の中に有情衆生に対して瞋恚と怨恨が生じる時、

《降伏瞋恨経》、《鋸子譬喩経》などの開示に基づいて、慈心観を

修行するべきである。修行者が慈心観を修行する時、瞋恚と怨恨は

跡形もなくなくなる。

故に、瞋念を引き起こす対象からみて、慈心観は「其他対象」である。

(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

 

 

 

 

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