Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-59

難陀尊者は、自分の名前の上に「利益一点張り」「高貴な買主」という、

手厳しい綽名を付けられて、非常に不安で焦燥感を覚えた。

「ああ、私は大きな間違いを犯してしまった、私は比丘の身分に

ふさわしくない!六根の門を守らない為に、兄弟弟子の嘲笑の的に

なってしまった。私は厳格に、自分の根門を守らなければならない。」

この時から、難陀尊者は、自分が見ているすべての事物に対して、

正念と明覚を保つよう訓練した。彼は、東、西、南、北、上、下、横、

またはその他の方向を見る時、いかなる貪、瞋等の悪念が、彼が見た

ものを原因として生起しないようにした。

彼は根門において、非常に厳格に自己を規制した為に、暫くして、

比丘の最終的な責任を遂行したーー阿羅漢果を証悟したのである。

この物語の中で、天女の誘惑は、細い木釘のようであり、それは、

難陀尊者の、以前の妻に対する執着ーー太い木釘ーーを取り除いた。

なぜか?

彼の前妻は、彼がかつて擁した事のある欲楽の対象であり、この種の

欲楽を対象とする執着は粗いものであり、また非常に抜きがたい

ものである。それに反して、天女たちは、これまで彼が擁した事のない

欲楽の対象であり、彼女たちは、ただ彼の想像上の、未来において、

擁する事の出来るようになる対象である。

この種の欲楽の対象となる執着は、先ほど述べたものより、なお微細な

ものである。

また、兄弟弟子である比丘たちの軽視は、細い木釘に相当しており、

それは、難陀尊者の天女に対する執着ーー太い木釘ーーを取り除く

ことができた。

なぜか?

天女に対する執着は、彼の前妻への執着より更に微細であるが、

しかし、兄弟弟子である比丘たちの軽視に比べると、なお粗い

からである。

このように、仏陀は、逐一、先に微細な執着をもって、彼の粗い

執着を取り除き、その後に、(+人々の)軽視をもって、彼の微細

な執着を取り除いたのである。

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)