難陀尊者は、自分の名前の上に「利益一点張り」「高貴な買主」という、
手厳しい綽名を付けられて、非常に不安で焦燥感を覚えた。
「ああ、私は大きな間違いを犯してしまった、私は比丘の身分に
ふさわしくない!六根の門を守らない為に、兄弟弟子の嘲笑の的に
なってしまった。私は厳格に、自分の根門を守らなければならない。」
この時から、難陀尊者は、自分が見ているすべての事物に対して、
正念と明覚を保つよう訓練した。彼は、東、西、南、北、上、下、横、
またはその他の方向を見る時、いかなる貪、瞋等の悪念が、彼が見た
ものを原因として生起しないようにした。
彼は根門において、非常に厳格に自己を規制した為に、暫くして、
比丘の最終的な責任を遂行したーー阿羅漢果を証悟したのである。
この物語の中で、天女の誘惑は、細い木釘のようであり、それは、
難陀尊者の、以前の妻に対する執着ーー太い木釘ーーを取り除いた。
なぜか?
彼の前妻は、彼がかつて擁した事のある欲楽の対象であり、この種の
欲楽を対象とする執着は粗いものであり、また非常に抜きがたい
ものである。それに反して、天女たちは、これまで彼が擁した事のない
欲楽の対象であり、彼女たちは、ただ彼の想像上の、未来において、
擁する事の出来るようになる対象である。
この種の欲楽の対象となる執着は、先ほど述べたものより、なお微細な
ものである。
また、兄弟弟子である比丘たちの軽視は、細い木釘に相当しており、
それは、難陀尊者の天女に対する執着ーー太い木釘ーーを取り除く
ことができた。
なぜか?
天女に対する執着は、彼の前妻への執着より更に微細であるが、
しかし、兄弟弟子である比丘たちの軽視に比べると、なお粗い
からである。
このように、仏陀は、逐一、先に微細な執着をもって、彼の粗い
執着を取り除き、その後に、(+人々の)軽視をもって、彼の微細
な執着を取り除いたのである。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)