万一、それでも悪念を取り除くことができないならば、彼は、
火をつけるための一対の木とか、そのようなものを、袋から
取り出す。そして、注意力をこれらの方へ向けて、言う
「これは上に置く木、これは下に置く木」などなど。
こうして心を(悪念以外の)その他の事柄に、忙しくさせる。
万一、それでも悪念を取り除くことができないならば、彼は、
色々な道具が入った容器を出してきて、以下のように、
それらの日常用品を注視する「これは錐、これは鋏、これは爪切り、
これは針。」
こうして心を(悪念以外の)その他の事柄に忙しくさせる。
万一、それでも悪念を取り除くことができないならば、彼は、
穴の開いた袈裟を繕う事を通して、自己を忙しくさせる。
悪念が除去されていない限り、色々な技巧を必要とする各種の
仕事に従事して、自分を忙しくさせるのが良い。
一たび悪念が取り除かれたなら、彼は、再び座禅・瞑想を開始し、
自己の禅の法門を、修行しなければならない。
しかし、彼は、建築の仕事をしてはならない。
なぜか?
それは、一たび建築の仕事を始めたならば、たとえ心の中の悪念が
取り除かれたとしても、禅修行者は、修行をする時間が無くなって
しまうからである。しかし、古代では、智者が建築の仕事を通して、
悪念を取り除いた話は、確かに存在している。
(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)