wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-71

註疏では、上述の文章(No.70 )を、結論の部分である、

としている。

ちょうど弓術を教える先生のように、外国から来た王子に五種類の

武器の使い方を教え、その後に、王子を激励して言う「国に帰って、

自国の統治権を掌握しなさい!」と。

彼は王子に、五種類の武器の運用の仕方を教え、そして言う「もし、

強盗が路上であなたに襲いかかったならば、弓矢を使いなさい。

もし、弓矢が無効であるとき、長い矛や宝剣を使いなさい。

そうすれば、その後で、強盗から逃げ出すことができます。」

王子は言われた通りに実行し、自分の母国へ帰り、統治権を得、

国を治める事の幸せの報を得た。

同様に、仏陀は比丘に五種類の(+修行の)方法を教え、比丘が

聖人の果位を証悟できるよう、増上心を育成するのを、激励した。

増上心を育成する事に努力する比丘は、禅の修行において、もし、

悪念を引き起こす対象が心の中に出現したならば、その他の対象に

注意を向ける、という教法に従って、彼は悪念を止める事ができるし、

かつ観禅の修行の後では、聖果を証悟することもできる。

もし、この方法では証悟することが出来ないとしても、悪念がもたらす

危険を思惟せよという教法によって、聖果を証悟することができる。

もし、この方法では証悟できないとしても、悪念を忘れ、悪念に注意を

向けないという教法によって、聖果を証悟することができる。

もし、この方法では証悟することができないとしても、悪念の源を

追跡調査するという教法によって、聖果を証悟することができる。

もし、この方法では証悟することができないとしても、強力に

(+自己の心を)制御するという教法によって、悪念を止め、観禅を

修行することによって、聖果を証悟することができる。

「該比丘就可以称得上是念頭的主人」という語句について、註疏は

以下のように解説している。

比丘就可以称得上とは、想いの転回する過程をコントロールすること

に巧みな人、想いの転回する過程をコントロールする事に精通してい

の事を、言う。

以前、彼は、自己がそうあって欲しいと思う想いを生起させ、そうあって

欲しくない想いは生起させない、という事ができなかった。

しかし今、彼は、自己の想いをコントロールする事に熟練したので、

(+自己の心の動き、即ち、)起心動念の主となる事ができるよう

になった。

この事を「他能使自己想要的念頭生起、使不想要的念頭不生起」と言う。

ここにおいて、彼は一切の貪愛を断じ、除いたのである。

上記のことから、心の中に如何なる邪悪な想いが生起しようとも、

あなたはこの経が教える五種類の方法によって、悪念を取り除かな

ければならない(+ことが知れる)。

このようにすれば、あなたは、悪業をなす事を避け、純粋に善業のみ実践

することができ、かつ、あなたの禅の修行は、日増しに成功を収めること

ができる。(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)