Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-75

持戒の次は、出離を挙げている:

一、出離は、持戒の成就を円満するから;

二、善なる身・口の行為を教えた後、次には即刻、善なる

意行を教えるから;

三、持戒清浄者は、軽々と禅の修行を成就し、ジャーナを

証するから;

四、身・口の違反を捨離する事を述べた後に、意の困惑を捨離

する事をいうため;

「出離」とは決して、ただ、外部の物質から離れる事をいうので

はなく、内心の煩悩を捨離する事が含まれる。

仏教では、煩悩を三つの層に分類している。

一、潜在的煩悩(anusaya-kilesa)、すなわち、名相の相続流

(心流)の中に潜在する煩悩。

二、困惑性煩悩(pariyuṭṭhāna-kilesa)、すなわち、心の中に

浮かぶ煩悩。

三、違反性煩悩(vītikkama-kilesa)、すなわち、すでに不善なる

身的行為または言語的行為を、造作してしまっている煩悩。

持戒は、違反性煩悩を制止する事ができ、それが身体上及び言語上の

行いに表現されないようにすることができる。

止禅は、困惑性の煩悩を鎮伏して、それが心の中に現れないように

することができる、特にジャーナ又は安止定の段階においては。

智慧または観智は、潜在的な煩悩を根絶やしにすることができる。

出離の後には、智慧を挙げている:

一、智慧は出離を円満成就し、かつ浄化する事ができるから;

二、禅定がなければ、智慧はありえないという事を示すため。

というのも、禅定は智慧の近因で、智慧とはすなわち、禅定の

現起(=成果、現象)であるから。

三、他人を利益するための方法善巧智は、他人の福利のために

修習した禅定である事を示すため。

智慧の後に、精進を挙げている:

一、精進を実践する事を通してのみ、智慧の作用を円満すること

ができるから;

二、菩薩は衆生を空であると観照した後、また再び翻って、衆生

福利の為に、困難な仕事に従事するから;

三、深く思慮した後でのみ、精進を発動することができる事を言う。

それは以下の格言に符合する:「深く思慮する者がなす事柄は、

極めて殊勝な果報を齎す事ができる。」

(= )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)