(一)人身(manussatta):人身を持つ者が発する至上願だけが、
効力を発する。龍、金翅鳥等が発した至上願は無効である。
なぜか?
その他の身体では、人身によって仏果を証得する仏陀と、
相応しないから。
聴衆のみなさん、もしあなた方に十分に強力な願または善欲があって、
仏になりたいと思うのであるならば、あなた方は未来において、
仏になれるかもしれません。
しかし、下記の格言を覚えておいて欲しい「馬を欲しいと思いさえ
すれば、乞食でも馬に乗ることができる。」
この言葉の意味は、人が願を発するだけで欲しい物が手に入るので
あるならば、貧乏人もまた、今すぐに大富豪になる事ができる、
という事である。
(+しかし、実は)願を発しただけでは、仏果を証得することは
できない。あなた方は、必ずや、一切の財産と富、身体と生命を
捨てる事によって、10の波羅蜜を円満成就しなければならない。
もしこのようにするならば、あなた方は未来において、仏になる事
ができる。
(二)男性(liṅgasampatti):すでに人身を得た者であっても、
男性の発する至上願だけが効力があり、女性、黄門、無性者及び
陰陽者の発する至上願は無効である。
なぜか?
仏陀は必ずや男性であるから。
仏陀はこう述べている「比丘たちよ、これは不可能である。
決して発生することはない。すなわち、女性が正等正覚の仏陀に
なるという事・・・・・・」(Majjhima-3-100 Aṅguttara-1-30、
Abhidhmma-2-349)(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:文中、金翅鳥はガルーダ?それともキンナラ鳥?
(中日辞書になし)。黄門はオカマ?オネエ?(中日辞書では
「宦官」と表記)。陰陽者は両性具有者ですが、では、無性者と
は何でしょうか?
大乗仏教には龍女成仏説があり・・・龍(族)で女性で、しかも子供、
エヘン、仏陀になったヨ・・・(イヤ、その前に変成男子、男の子に
なってから仏陀になった、らしいけど)。う~~ん、仏教は、インド
の強烈で強固な女性差別意識を拒否できなかったのか、それとも釈尊
は本当に「女性は成仏できない」と言ったのか?(仏陀はアーナンダ
の懇願に答えて「女性でも悟る事はできる」と言っているが、これは
阿羅漢になる事?それとも仏陀になる事?)
仏陀になるには永遠の努力が必要なように、仏陀男性説もまた永遠の
謎のような気が、しないでもない(なぜなら、仏陀になるまで、
自分では検証のしようがないから)。
中国人、台湾人、華人社会、中国語圏の仏教は基本、大乗ですから、
「仏陀になりたい」という人は多い。日常的に、仏教徒同士、お互い
「菩薩」と呼びかわしているくらい。
そんな状況の中国語圏の仏教徒に説法する時、パオ・セヤドーは
「仏陀になるのは、そんな簡単な事ではない」説を強調せざるを
得ない・・・という光景が、目に浮かびます(笑)。
仏陀になるための波羅蜜は、テーラワーダは10を言い、大乗では
6を言う。この違いはどこから来ているのでしょうか?
まだまだ学ぶべき事は多い。
追記:大乗の「龍の女の子の成仏説」は、インドの少数民族
ナーガ族が仏教に帰依した事の象徴的物語である、という説あり。
文化人類学的にはそうかもしれませんね。こんな所にも、信仰と
歴史的事実とのせめぎ合いが・・・。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)