ここにおいて、私は皆さんにお訊ねしたい。
もし、あなた方が、自分には仏果を証悟したいという、十分に強力な
願または欲があると思うならば、あなた方の欲は、上記のように強烈
なレベルであるのかどうか?
どうぞお答え下さい。
上に述べた8項の条件を備えた者が発する至上願は、この8項の条件を
備えた上で、発起された心である。
その特徴とは、正等正覚を証悟したいという覚悟であり、作用とは
「我をして正等正覚を証悟せしめ、一切の衆生に幸福と楽を齎せよ」と
いう願いを渇望する事であり、現起(=現象、成果)とは、菩提資糧の
元となす事であり、近因は大悲心、または一切の必要条件を具備している
事である。
その目標が、不可思議な仏境、及び宇宙全体の衆生の幸福であるため、
それは、最も優れた、最も殊勝な福業であると見做され、無限の潜在的
エネルギーを秘めており、また、仏果を成就するための、一切の法の
基本となるものである。
それが発起されるその一瞬、その偉人は、大菩提乗の行道
(mahābodhiyāna-paṭipatti)に踏み込んだのである。
彼の終着点はすでに決定され、覆される事はない。
そうであるからこそ、まさに「菩薩」と呼ばれるのである。
その心は、すでに完全に、正等正覚を成就する事に投入され、
かつ、一切の菩提資糧を円満成就する能力も、すでに備わって
いるのである。
至上願が効力を発する時がくれば、偉大なる菩薩は、己の力だけを
頼りに、諸々の波羅蜜を正確に探し当てる「波羅蜜思択智」
(pāramī-pavicayañāṇa)を発動する。
この智は、すなわち、彼が未来に於いて、一切知智を証悟することの
前兆である。彼は先にその行道を実践し、段階を踏んで、諸々の波羅蜜
を円満成就していく。
それは、スメダ智者(Sumedha、善慧:妙智)が、至上願を発した後に
したことと同じである。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)