二、四因(近い、直接的な因):
(一)偉人は、過去仏のために、増上行(adikāra)を実践する事を
通して、特別なる善業を具備しており、それを親依止(upanissaya)
となした。
(二)彼は当然の如くに憐憫の性格を有し、衆生の苦しみを軽減する
ために、自己の生命を犠牲にすることを、惜しまない。
(三)彼は、持続性のある精進力を有し、仏果を証悟するために、
長期的に奮闘することができる。輪廻の苦しみや、衆生の利益と幸福の
為に奉仕する苦難によって、心が委縮することはない。
(四)彼は、他人に悪から離れ、善をなすことを勧める善知識と
交流するのを好む。
以上の四つの因の内、親依止を擁するという意味は、彼がかつて過去仏の
面前で、心の中に於いて黙念し、また自らの口において、菩薩道を修したい
と発願したため、彼の心は長期的に、正等正覚を証悟し、衆生の利益と
幸福のために奉仕したいという(+心の)傾向がある、という事である。
彼がこの種の親依止を具備している事から、彼は、ある方面においては、
未来において辟支仏(paccekabuddha)または弟子になる人とは
明確な違いがある。
それはすなわち:
一、五根(indriya);
二、衆生の利益と幸福のための修行;
三、人を助けるよき方法と、善悪を判断する智慧
(thānāthāna-kosalla-ñāṇa)(+に優れていることである)。
上記の、善知識と交流するという点において、善知識とは、
8項の資質を有する人の事であって、それはすなわち;
信(確信)、戒、多聞、出離、精進、念、定と慧である。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)