Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-93

強烈な無貪の(+心の)傾向の故に、菩薩はそれと対立する、

利己心の危険を見通し、その為、布施の修習に努力する;

強烈な(+心における)持戒への傾倒のために、彼は無徳

危険を見通し、その為、持戒の修習に努力する。

その他の波羅蜜についても、みなこのように実践する。

ここにおいて、特に、以下の点に注意して頂きたい。

出離と対立する(+心の)傾向とは、欲楽と在家の生活

であり、智慧と対立するのは愚痴(=愚か)と疑いであり、

精進と対立するのは懈怠であり、忍辱と対立するのは無忍と

瞋であり、真実と対立するのは妄語であり、決意と対立する

のは優柔不断(善を行う事に迷う)であり、慈と対立する

のは瞋と恨であり、捨と対立するのは、世事における

栄枯盛衰と変転に屈服する事である。

強烈な(+心の)捨の傾向により、菩薩はそれに対立する所

の法(すなわち、世事の栄枯盛衰と変転に屈服する事)の

危険を見通し、ゆえに捨波羅蜜を修習する事に努力する。

このように、布施、持戒等の10波羅蜜への(+心の)傾向、

傾倒もまた、波羅蜜の根本的条件である。

上に述べた波羅蜜の根本的条件に鑑み、私は皆さんに、

菩薩道を修する事を発願する者が、授記を得られる菩薩に

なるために必要な、十分な波羅蜜の蓄積と、毎日の生活の中

において、育成しなければならない資質について、

話したいと思う。それらは:

一、極めて深い欲;

二、法の中に住する事;

三、如理作意;

四、貪・瞋・痴を断ずる事;

五、涅槃の証悟に傾倒する事。

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:もう30年も前の事ですが、ある時、テーラワーダ

出身の長老の法話を聞く機会がありました。

彼は「仏陀になろうなんて、欲が深すぎ!!釈尊仏陀になるな、

阿羅漢になれ、と教えている。我々は、仏陀になりたいなぞという

欲は、出さなくてよいのだ」と話されました。

私は違和感を感じましたが、当時は、彼に反論できるほどの理論を

持ち合わせていませんでした。

その後、自分なりによく考えて、仏陀になりたい、阿羅漢になりたい、

クリスチャンになりたい、右翼になりたい、左翼になりたい、

イヤ、何にもなりたくない・・・とか、我々は何になろうが、

何にならなかろうが、自分の人生は、自分で選択、決断すればよい

のだと、ハタと、膝を打ったことがあります(結果はすべて自己

責任)。仏陀になるのは大変だけれど、成りたい人はチャレンジ

してみればいい。まずは妥当な発想でしょう。(パオ・セヤドー

の法話から、テーラワーダは、菩薩道や成仏を否定していて、

ゆえに小乗である、という伝承は、一種の誤解であること

が分かります)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)