wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-98

彼はまた、このように省察しなければならない:

「この人は、私に至善を行うチャンスをくれている。私はこのよき

チャンスを逃してはならない。」「生命はいつの日か終わる。私は、

人から求められなくても、(+財物を)こちらから上げなければなら

ないのに、人は、自ら、私に求めに来てくれているではないか。」

「布施をしたいと強烈に思う菩薩は、布施を受け取ってくれる人を、

四方に探し求めるというのに、今、私の福報によって、乞う者が、

私の布施を受け取るために、自らやってきた。」「財物を受け取る

のは受者であるが、私こそは、真正の受恵者だ。」「私は、自らを

利益するが如くに、衆生を利益しよう。」「もし、私の布施を受け

取る人が誰もいなければ、私はどうやって、布施波羅蜜を修習する

ことができるのだろうか?」「私は、乞う者のためにこそ、財物を

手に入れたり、貯めたりしよう」「いつになれば、私が彼らを乞わ

なくても、彼らが自らやってきて、私に布施のチャンスを与えて

くれるのか?」「私はどのように、彼ら受者を親切に対応すればよい

のか?どのようにすれば、彼らは、私の善友になってもらえるのか?」

「どのようにすれば、布施の時、布施の後に、喜びを感じれるか?」

「どのようにすれば、受者はやってくるのか?」「布施に傾倒する

(+心は)、どのように育成するのか?」「彼らに、欲しいものを教えて

もらわなくとも、私が彼らの欲するものを布施できるよう、彼らの心、

彼らの考えを知るには、どうしたらよいか?」「私に布施する財物が

ある時で、またそれを受け取りたいと思う人のいる時、もし、私が

布施しなければ、それは、私にとって、極めて大きな過失、損失になる」

「どのようにすれば、私の生命と身体を、それらを求める人に

布施出来るのか?」(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)