ここにきて、一つ考えなければならない事がある。
それは:
布施波羅蜜というのは、本当に実践しなければならないもの
なのかどうか?という事である。
《相応部・具偈品》の中に、一首の偈がある:
”Sīle patiṭṭhāya naro sapañño・・・”ーー「戒を有する
智慧の人・・・云々」。
この偈の中で、仏陀は、もし、人が生まれる時に三因具足(注)
であり、かつ、慧根がすでに成熟しているのであれば、彼はただ
戒・定・慧だけを修すれば、欲愛の網の結び目を解くことができる、
と解説している。
ここでは、仏陀はただ、戒定慧の三学について述べているだけで、
布施を修習することについては、何らの、暗示さえもしていない。
同時に、《清浄道論》全編は、《相応部・具偈品》の上の偈を、
注釈する論著であるが、しかし、その中においても、布施波羅蜜に
ついては、何ら言及していない。
その上、涅槃へ導く八聖道は、ただ戒定慧の道のみで、布施の道はない。
故に、ある種の人々は誤解して、仏陀は、布施を重要な要素とは
見做しておらず、涅槃を証するに、何ら役に立たないものであり、
また、それは、不断に、輪廻における生死の原因を造っており、
故に、布施を修習してはいけない、と言う。
注>三因結生心とは、結生するその刹那の心が、無貪、無瞋、
無痴の三因を、具足している事を言う。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)
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