昨日、図書館より「購入希望の本が届きました」という連絡が
入りました。
だめもとで頼んでいた、タイの日本人僧侶プラユキ師の著書
『自由に生きる』です(田舎の小さな図書館、こういう本を
買っていただけるかどうか、分かりませんでしたが・・・
<心の時代>が来たのでしょうか?)。
早速借りてきて、読んでみました。
私が興味を感じたのは、下記の、彼の幾つかの意見:
1、ラベリング瞑想とサマタ瞑想は、うまくいく人といかない人
がいて、上手くいかない時の副作用には、要注意。
2、師が教えている手動瞑想は、副作用が少なく、効果はよい。
3、戒律は、守れば守る程、心が自由になる。
1と2、ラベリング瞑想は、緬甸のマハーシで教えていたのが、
西洋社会や日本に広がったものです。サマタ瞑想は、師は明言は
されていないですが、パオ瞑想の事を指している、と思われます。
う~~ん、どの瞑想方法がいいか?
なかなか悩ましい問題です。
Aさんによくても、Bさんには合わないとか、途中まで順調だった
のに、今では壁が万里の長城・・・とか、もう、色々ありです。
経験者の意見を聞いて、良いと思ったものに、自分でチャレンジして
みて、違うな、合わないな、と思ったら乗り換える、それしかない
ような気がします(でも、それだと、瞑想難民になる危険性も
あるし・・・う~~ん)。
3は、私も実感します。
私は8戒の尼僧(sayalay)で坊主頭。何が嬉しいかと言うと、
男性が寄ってこない事。これ、非常に、気が楽です(私は、
もう70に近いおばあさんですけれど、こちらが親しげに話を
すると、勘違いする男性が、ままいます。私は八方美人、
男女共に、ツンケンしたもの言いができないので、たまに
誤解される)。
お化粧もしません。これも楽。
お化粧して美人にみえても、それは架空、虚構だって事は、
女性の皆さん、本当は、分かっている。笑顔美人ならお金も
かからないし、素敵と思うけれど。でも、自分から先に
仮面を脱ぐのは、お嫌かな?
服装は、パオ指定の、こげ茶色の法服だけで済むように
なりました。Y盆地の冬は寒いので、冬にコットンの法服
だけで過ごすのは無理ですが、正装=三衣の法服、というのは
楽でいいです。
戒律を通して、何が必要で、何が必要でないか、智慧の目を育てて、
心身ともに、軽くしていたいものです(という割には、物、
一杯もっています~~良寛さんになりたい・・・)。
追補:著書の中で、アーナパーナサティの説明をしている所、
P304に<全身を感じながら息を吸おう> とあるのですが、
この部分の<全身>は、アーチャン・チャー(遷化)は、
身体の中まで吸い込んだ息を、最後まで見届ける事、
としていて、身体(身体全体)を感じ、見る事、
とはしていない(←お弟子さんからの伝聞)。
私はパオ・セヤドーの著書を翻訳していて、確か、ここでの
パーリ語 kāyā は、身体とは関係が無く、息の全身(=息の
全体)を見るのだ、という理解でした。
これは、自己を観察するのに、どれくらいのレベルの定に
入るべきか?という問いとその答えでもあり、それは、鶏が先か、
卵が先か的な、相互相関関係にあります。
私には、パーリ語の素養はないし、瞑想のプロでもないので、
確定的、断定的な意見を述べる資格はありませんが、
個人的には、パオ・セヤドーの解釈を支持します(理由は
長くなるので、割愛します)。