wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-107

この事から見ると、パーリ語経典の中の《仏種姓経》と《施分別経》

の間には矛盾があるように思われる。

しかし、もし、《施分別経》の説かれた対象が、普通の人と天神であり、

《仏種姓経》は、もっぱら一切知智、または仏智を証悟したい菩薩行

実践者に向かって説かれたものであるとしたら、この矛盾は納得の

いくものに変わる。

菩薩は、どのような受者であっても、来たものは拒まず、彼らが

上、中、下の人物なのかどうかなど考慮することなく、差別なしに、

布施をしなければならない。

彼は「この者は下等なる受者だ。もし彼に布施したなら、私は将来、

下等な仏智しか得られないだろう。この者は中等なる受者だ。

もし彼に布施したなら、私は将来、中等な仏智を得られるだろう。」

などと考える必要はない。

ゆえに、一切知智を証悟したいという(+心の)傾向を持つ菩薩は、

一切の、自分の所へやってきた受者に、差別心なく布施をするのは、

当然の修習に相当する。

しかし、普通の人々や天神が布施の修行をする目的は、喜ばしい世俗の

楽であるから、最もふさわしい受者を選んで布施の対象とするのは、

自然なことなのである。

結論:菩薩を対象とする《仏種姓経》と、普通の人々と天神を対象と

する《施分別経》などの経典の間には、矛盾は見られない。

(+ )訳者。(つづく)

訳者コメント:上記の説明は、経典上での解釈でありますが、現実

問題として、テーラワーダ南伝仏教)では、人々は男性比丘、

長老、尊者に布施をすることが多く、一段身分が低いsayalayに

布施をする事が少ない傾向があります(sayalayより、比丘の方が

<よき受者>であるという概念がある為)。

タイでは、メーチィラシン(女性出家者、緬甸のsayalayと同じ)

では嫌だ、相応の尊敬を得られる正統の比丘尼になりたいと

言って、台湾の、大乗の比丘尼さんの助けを借りて、比丘尼出家

した女性がいます。

彼女は、比丘と全く同じ三衣で、托鉢に町々(大きな仏塔がある町。

ナコンパトムだったと思います)を回りますが、おおむね好意をもって

迎えられたそうです(最初は、反対意見もあったとか。男性中心の

サンガが反対するのは、既得権????)。ただし、パオ・セヤドーの

名誉のために、一言。パオ森林寺院では男女差別はなるべく無いよう

心がけており、セヤドーのご配慮で、私たちsayalayも、比丘と同じ色

法衣を着ることが出来ます(他の寺院では、sayalayは、スカートは

柿色、大衣はピンク)。とは言え、比丘のような、全身を覆う大衣、

ローブは、パオでも、許されない(あれが、かっこいいのですがね~笑)。

テーラワーダ比丘尼がいない理由は、またいつか。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)