wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-111

この、後者6つの問題について、比丘たちは、最初の問題と同じように、

無知なる回答をした。

仏陀もまた、最初の回答と同じような、回答をした。

すなわち、戒を持さない者は、両足を人に打ち砕かれようとも、

胸を矛で突き刺されようとも、まだ、その方がよい。

というのも、彼らは、ただその一世の間、苦しむだけだから。

しかし、もし、信徒の礼拝を楽しみにしたり、信徒の礼拝を受けたり

すると、これらはすべて、彼らが悪道に生まれ変わる原因、非常に

長い時間、極度に苦しむ原因に、なるからである。

最後に、仏陀は以下の話をして、今回の法話を終了した。

「布施をする信徒に最大の利益をもたらす為に、また、己のサンガに

おける生活を、有益なものにするために、比丘は、三学を学ぶ事に

尽力しなければならない。

己と他人の利益と幸福の為に、比丘は、時々刻々、正念を保ち、

精進しなければならない。」

法話が終わる時、60人の持戒不清浄な比丘は、その場で、口から熱い血

を吐き、60人の、軽い戒に違反した比丘は、即刻還俗し、60人の、

持戒清浄な比丘は、阿羅漢果を証悟した。

(+ )訳者。(つづく)

訳者コメント:私は、三蔵を研究し尽くして、仏教について、

何でも知っているという立場ではないのですが、

業の考え方について一言。

上述の文章でも分かるように、仏陀は常々、〇〇の悪い事をすれば、

△△のような地獄に落ちる、という法話をよくしています。

因縁物語、因果関係でしょうか?

そして、テラワーダ(南伝仏教)の仏教圏、中国語圏の大乗

仏教圏でも「誰それは、前世で〇〇をしたから、今世で、

△△の罰を受けている」と、よく言います。

仏陀は、実は、業による罰、を強調する当時のバラモンに反対

で、過去を悔やまず、現世を注意深く、心楽しく生きなさい、

と教えたはずですが、どうしても、〇〇したから、

△△という苦しみが・・・という、人を脅かすタイプの業理論が

仏教でも、跋扈しています。非学な私には、どういうことなのか、

上手に説明できませんが・・・。

苦しみを背負っている人を、前世の報いと嘲笑するのではなくて、

明日は我が身と自戒し、困っている人には手を差し伸べる、

というのが正解でしょうか。

人は、自分より困窮している人、劣っている(と思う)人を見て、

優越感に浸るのが好きですが、人は見かけはどうあろうと、

本質の部分においては、平等だという事は忘れたくないですね。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)