次に、まったくもって智者だけが、まったくの瞋恚なしに他人からの、
自分への虐め、虐待を忍耐して受け入れる事ができ、愚かな人には、
それは、できない。
智慧が少ない人は、他人からの虐めや虐待は、ただイライラを増加
させるだけである。しかしながら、智者にとっては、(+その時)
忍耐の能力を善用することができるし、その力を増加させることもできる。
(苦・集・道)の三聖諦、それらの因、及びそれらと対立する法を
如実に理解した後、智者は、他人を欺くことがない。
菩薩は、仏果を証悟したとき、初めて直接第三聖諦(滅諦)を証悟するが、
それはすなわち、一切の苦の止息である。
同様に、慧力でもって自己を強化した後、智者の気概は、諸々の波羅蜜を
実行するための、不動の決意となる。
智者だけが、より善い方法をもって、完全に、親愛なる人、
中立の人及び敵の区別なく、一切の衆生に利益と幸福を
もたらす事ができる。
智慧を運用して初めて、世間の得失・・・栄枯盛衰に対して、全く
それらの影響を受けて動揺することなく、中捨的(=中立的な態度
でもって、物事に執着しない事)に、対応する事ができる。」
人々は、このように智慧波羅蜜を省察し、かつ、それは、
一切の波羅蜜を浄化する因であると、認めなければならない。
(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)