次に、菩薩は以下のように、自己を訓戒しなければならない:
「智慧の無い時、知見を得る事はできない。そして、知見のない
時、戒を成就する事ができない。智慧と戒が足りない人は、
定を獲得する事ができない。
定のない人は、自分一人を幸せにする事もできないのであって、
ましてや、崇高な精神で、他人に、利益と幸福をもたらす事
など、決してできない。
故に、他人の利益と幸福のために、修行に尽力している己は、
なぜ、全力を挙げて、己の智慧を浄化しないのか?」と。
というのも、菩薩は慧力を通して智慧、真実(sacca)、捨離と
寂静(upasama)の四住処(caturādhiṭṭhāna)を具備し、
布施、愛語、利行、(aṭṭhacariya)及び平等または同待
(=同事 samānattata)の四摂法(catusangahavatthu)の
運用を通して、一切の衆生を利益し、彼らをして、解脱道に入ら
せるか、または彼らの諸根が成熟するよう、支援するからである。
次に、慧力を通して、彼は諸蘊、処などの分析を行い、真諦に
よって、縁生と滅尽の過程を徹底的に知り、(+自己を)
布施波羅蜜などの至高のレベルにまで育成し、菩薩の行道を
円満成就する。
智慧における、各種の美徳を省察した後、彼は、不断に、
智慧波羅蜜を育成しなければならない。
《分別論》の註解である《迷惑氷消》では、智慧を育てる7つの
方法を紹介している。
一、常に、智者に教えを乞う。
二、身体と身体外部の物を清潔に保つ。
三、信(=確信・信頼)、精進などの諸根のバランスを保つ。
四、智慧のない人とは遠く離れる。
五、智者に親しむ。
六、奥深さを秘める智慧の法的な本質(=法則性)を省察し、
考える。
七、四種類の、すべての姿勢において、常に、智慧を育成する
方向にある事。
《中部註》では、菩薩は、諸仏の膝下において、出家し、
自己の戒を浄化し、仏陀の教法を研究し、禅の修習をしながら
生活し、行捨智(+の獲得)に至るまで、観智を育成するーー
それは、菩薩が仏陀になる前の、獲得できる所の、最も高度な
智慧である。
現在は、まだ正法が世に住している。
そして、それは、あなた方に、各種のレベルの観智を育成する
機会を提供している;
もし、菩薩道を修したいのであれば、あなた方は、修行して
行捨智を獲得する所まで、到達するチャンスがある。
しかし、もし解脱したいのであれば、最低限、あなた方は、
止禅と観禅を修習して、今生において、須陀洹道果を証悟する
よう、尽力しなければならないーーすでに得た人身と、
すでに出会った、(+世間に稀な)る仏法を無駄にしないために。
(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)