wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-121

次に、精進波羅蜜について、以下のように省察する:

「十分な精進力が無い時、自分自身を生死輪廻から救い出す事

さえもできない。十分な精進力がないまま、菩薩道を修すると

発心した人は、どのようにして、衆生を救うつもりなのか?」と。

「無量の貪、瞋などの煩悩は、酒に酔った象のように制御しに

くく、これらの煩悩によって造られた業力は、死刑執行人が刀を

高く持ち上げて、我々をまさに処刑しようとしているのと同じだ。

四悪道の門は、我々の悪業の前に、永遠に開いている。

悪友は常に、自分の周りをまとわりつき、我々に悪をなすよう唆し、

そして、我々を四悪道に送り込む。

愚かな凡夫の本性は、これらの悪友の、よくない唆しに、軽々と

服従してしまい易い。故に、我々は、これら詭弁好きの悪友から

遠く離れているべきである。というのも、これら詭弁好きの人は、

常に間違った、かつ、理知的でない論点を持ち出し、

こういうからである:

『もし、生死からの解脱が本当にあるのならば、我々は、何らの

努力をせずとも、自然に、自動的にそれを獲得できるはずだ』と。

ただ精進力を通してしか、これらの間違った言論から遠ざかる事は

できないし、自分の能力に依って、仏果を証悟することができる

ならば、他に何が困難な事柄があろうか?」。

精進波羅蜜について、経典では、獅子王の比喩を挙げている。

獅子王の本性は、兎を捕まえる時も、象を捕まえる時も、最大の努力

をする。彼は、兎が小さい動物だから、小さな努力でよいとか、

象は体積が大きいので、兎より努力をする、という事はない。

この二つの事柄に対して、彼は、同等の努力をする。

この獅子王の態度と同じく、菩薩が精進波羅蜜を修習する時、

彼は、小事ゆえに、小さな努力をし、大事ゆえに、

大きな努力をする、という事がない。

任務の大小にかかわらず、彼は時々刻々常に、同等の、

最高の努力をする。

(+ )(= )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)