次に説明するのは、《舎羅邦伽本生経》の話で、その中で、
帝釈天王が、舎羅邦伽沙門に問うて言う:
「拘利若伝承の沙門、何が、殺した後でも、我々が後悔しない
ものか?何が、捨てた後に、智者によって讃嘆されるものか?
我々は、どのような人の辱めを、忍耐強く、受容しなければ
ならないのか?
どうかこれらの問題に答えて下さい。」
舎羅邦伽であった当時の菩薩は、答えた:
「我々は、全くの後悔なしに、瞋恚と怨恨を殺さねばなりません。
感謝の無い心を捨て去れば、智者の讃嘆を得る事ができます。
相手が、自分より高級であろうと、下級であろうと、同等で
あろうと、彼らの侮辱を、忍耐をもって受容するのは、
有徳者によって、最も高級な忍辱だと、讃嘆されます。」
帝釈天王は、再び問う:
「隠士、我々は、自分より高級な人、または同等の人からの侮辱には
耐えられるかも知れないけれども、我々はなぜ、自分より低級な者の
粗野な悪語を、受け入れなければならないのですか?」
菩薩は答える:
「我々は、怖れによって、自分より高級な人々に無礼を受容するで
しょう。また、争いを避けるために、自分と同等の人々の侮辱を
受け入れるでしょう。
しかし、智者は、原因がなんであろうとも、我々より低級な人の、
粗野な悪語を受容する事が、最も上等の忍辱であると、
考えるのです。」
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:上記に上級、低級と出てくるのは、インドの
とすると、人格の高い低いを言っている事になりましが、
どうでしょうか?(その両方でしょうか?)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)