wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-127

次に説明するのは、《舎羅邦伽本生経》の話で、その中で、

帝釈天王が、舎羅邦伽沙門に問うて言う:

「拘利若伝承の沙門、何が、殺した後でも、我々が後悔しない

ものか?何が、捨てた後に、智者によって讃嘆されるものか?

我々は、どのような人の辱めを、忍耐強く、受容しなければ

ならないのか?

どうかこれらの問題に答えて下さい。」

舎羅邦伽であった当時の菩薩は、答えた:

「我々は、全くの後悔なしに、瞋恚と怨恨を殺さねばなりません。

感謝の無い心を捨て去れば、智者の讃嘆を得る事ができます。

相手が、自分より高級であろうと、下級であろうと、同等で

あろうと、彼らの侮辱を、忍耐をもって受容するのは、

有徳者によって、最も高級な忍辱だと、讃嘆されます。」

帝釈天王は、再び問う:

「隠士、我々は、自分より高級な人、または同等の人からの侮辱には

耐えられるかも知れないけれども、我々はなぜ、自分より低級な者の

粗野な悪語を、受け入れなければならないのですか?」

菩薩は答える:

「我々は、怖れによって、自分より高級な人々に無礼を受容するで

しょう。また、争いを避けるために、自分と同等の人々の侮辱を

受け入れるでしょう。

しかし、智者は、原因がなんであろうとも、我々より低級な人の、

粗野な悪語を受容する事が、最も上等の忍辱であると、

考えるのです。」

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:上記に上級、低級と出てくるのは、インドの

カースト制の影響でしょうか?カースト制を考慮に入れない

とすると、人格の高い低いを言っている事になりましが、

どうでしょうか?(その両方でしょうか?)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)