Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-137

十、捨波羅蜜

最後に、捨波羅蜜(+についての説明をするが、

捨波羅蜜)は大悲心と方法善巧智を基礎にして、

すべての好ましく思う心と、嫌悪する心に対して、

バランスのとれた、分別(=区別又は差別)しない

態度を言う。

その特徴は、愛と恨に対して、中立の態度をとる事。

作用は、物事を平等に見る事。

現起(=現象・結果)は、愛と恨を軽減する事。

近因は、自業智、すなわち、衆生は、自分がなした

業の主人である事を、理解する事。

捨波羅蜜については、以下のように省察する:

「もし捨心がないならば、他人からの侮辱や虐待は、

己の心に干渉や動揺を引き起こす可能性がある。

心が落ち着いていないと、善の修行、例えば、

仏になるための先決条件である布施などが、できない。」

「たとえ、心がすでに、慈愛によって柔軟になっていても、

捨心がなければ、菩提資糧を浄化する事ができないし、

善業と善果を、衆生の利益と幸福のレベルを引き上げる

ために利用する事ができない。」

また、ただ、捨の力でもってして、初めて、一切の菩提資糧

の実践、決意、成就と円満を行うことが、できる。

というのも、もし捨心がないならば、菩薩道を発願した者は、

全くの錯誤なしに、また布施の品物と、布施を受け取る者の

分別(=区別と差別)なしに、布施を行う事ができないから

である。

もし捨心を具備しないならば、彼にとって、生命と身体の

危険を顧みずに、浄戒を修する事は、難しい。

ただ、捨心でもって、善行を喜ばない心を克服し、また、

感官の享受を楽しむ心を克服した後で初めて、彼は、

出離心の力を円満成就する事ができる。

智捨だけが、諸々の波羅蜜の作用を正確に省察する事

ができる。

捨心がないのに、過剰な精進力がある時、奮闘の作用は、

その力を、発揮することはできない。

捨心を具備した人だけが、忍辱を実践できる。

生命における諸々の変化、毀誉褒貶に対して捨心を

保持して初めて、彼は、波羅蜜修習にの決意に対して、

(+その心が)不動でいられる。

ただ捨心だけが、他人からの辱めを受け入れる事が

出来るが、このようにして初めて、心は常に、慈心に

住むことができる。

このように、捨は、その他の波羅蜜を修習する時の、

必要条件なのである。

これが、捨波羅蜜の省察である。

(+ )(= )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)