十、捨波羅蜜
最後に、捨波羅蜜(+についての説明をするが、
捨波羅蜜)は大悲心と方法善巧智を基礎にして、
すべての好ましく思う心と、嫌悪する心に対して、
バランスのとれた、分別(=区別又は差別)しない
態度を言う。
その特徴は、愛と恨に対して、中立の態度をとる事。
作用は、物事を平等に見る事。
現起(=現象・結果)は、愛と恨を軽減する事。
近因は、自業智、すなわち、衆生は、自分がなした
業の主人である事を、理解する事。
捨波羅蜜については、以下のように省察する:
「もし捨心がないならば、他人からの侮辱や虐待は、
己の心に干渉や動揺を引き起こす可能性がある。
心が落ち着いていないと、善の修行、例えば、
仏になるための先決条件である布施などが、できない。」
「たとえ、心がすでに、慈愛によって柔軟になっていても、
捨心がなければ、菩提資糧を浄化する事ができないし、
善業と善果を、衆生の利益と幸福のレベルを引き上げる
ために利用する事ができない。」
また、ただ、捨の力でもってして、初めて、一切の菩提資糧
の実践、決意、成就と円満を行うことが、できる。
というのも、もし捨心がないならば、菩薩道を発願した者は、
全くの錯誤なしに、また布施の品物と、布施を受け取る者の
分別(=区別と差別)なしに、布施を行う事ができないから
である。
もし捨心を具備しないならば、彼にとって、生命と身体の
危険を顧みずに、浄戒を修する事は、難しい。
ただ、捨心でもって、善行を喜ばない心を克服し、また、
感官の享受を楽しむ心を克服した後で初めて、彼は、
出離心の力を円満成就する事ができる。
智捨だけが、諸々の波羅蜜の作用を正確に省察する事
ができる。
捨心がないのに、過剰な精進力がある時、奮闘の作用は、
その力を、発揮することはできない。
捨心を具備した人だけが、忍辱を実践できる。
生命における諸々の変化、毀誉褒貶に対して捨心を
保持して初めて、彼は、波羅蜜修習にの決意に対して、
(+その心が)不動でいられる。
ただ捨心だけが、他人からの辱めを受け入れる事が
出来るが、このようにして初めて、心は常に、慈心に
住むことができる。
このように、捨は、その他の波羅蜜を修習する時の、
必要条件なのである。
これが、捨波羅蜜の省察である。
(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)