Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~闘鶏

最近、いくつかの事件を耳にしました(テーラワーダ系の人々の、ちょっとした内紛です)。

これらは皆、人の嫉妬心が起こしたものである、と私は思います(ある種の人々にとっては、現在進行形のホットな話題なので、事件の内容については、具体的には述べませんけれど、内一つは、S比丘がM禅師の事を「自分はビルマのお寺で彼に会ったことがない、故に彼はニセ比丘だ」と、名指しで、インターネット上で誹謗したもの。会ったことがない事と、身分詐称とがどう繋がるのか、理解に苦しむ所ですが・・・)。

<嫉妬心>、これ非常にやっかい。自分より成功している人を見ると悔しい、腹が立つ。

悔しいとか腹が立つとか、その根拠は?と問われると、実は非常に曖昧であって、そう、大乗でいうところの<空><屁>みたいなもの。

なのに、脳内イメージは暴走して、悔しい、悔しいと言って、夜も眠れない。まるで、相手を見たら、理由もなく興奮して、掴み掛らねばいられない<闘鶏>みたい。

当該の事件がホットな最中なので深入りする事はやめ、別の話にすり替えて申し訳ないけれど、私の身内(女性)に、自分が幸福であるかどうか、常に心配している人がいる(私のアドバイスで、そういう感情から大分解放されたようなので、いた、というべきですが)。

兄弟姉妹の中で、自分の夫の収入は多い方だ、イヤ少ない方だ。専業主婦の私は幸せだ、いや、あの時退職せず、有職のままの方がよかったかも知れない。夫がくれた生前贈与の遺産は、兄弟姉妹の中では多い方だ、イヤ少ない方だ、イヤイヤ、末の妹はそんなものもらっていないらしいから、私の方が幸せだ・・・。

でも、中近東の石油成金王族の豪邸、欧州の貴族のお城ならともかく、日本の小さな都市の小さな家を、夫婦と子供たちの共同名義にするのもやっかいな気がするし・・・。モンゴルの砂漠に行けば、見渡す限りの原野を、自分の馬とラクダを連れて、どこまで走り回っても誰も文句は言われない・・・(要するに、誰かと比較する中で、生きる意味をみい出そうとする事は、徒労である)。

この人、幸せを味わっている時間より、人と自分の幸せを比較して疲弊している時間の方が長いのではないか?と思ったので、(人と比較して)愚痴を訴えてくる度に、「人と比べるな」「自分のしたいと思う事を、ただただ誠実になせ」と言い続けた所、最近、わかってくれたみたいで、新しく始めたダンスが「ただただ楽しい」と言い、「誰それの衣装がうらやましい」とか「誰それは、下手だ」「上手だ」などと言わなくなりました。

闘鶏を止めたら、心は、即天国。

イヤ、仏教徒だからお浄土、かな。