Sayalay's Dhamma book

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パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)ー147

ある種の物品に対して強烈な執着か、または貪欲が生じた時、その品物の品質が良いためであるか、または、長期的に個人が所持していたためであるか、または自分が価値のある物品や、特別な物品に貪欲を感じる性格であるかと、菩薩ならば、これらの貪念をはっきりと自覚し、そして、素早くそれらを取り除き、その後に、受取人がそれを受け取ってくれるまで、受取人を探し、見つけ出す。

もし、彼が一回の食事で、ちょうど一人分の食事しかない時に、ある人がそれを貰いに来たとして、菩薩は、微塵の猶予もなく、礼節のある態度でもって、すべての食べ物を、その人に布施する。ちょうど、我々の菩薩がアキッティ(+という名のバラモンの富豪の子)であった時になしたように。

人が彼に、彼の子供や妻、下僕などを要求した時、彼はまず自分の子供、妻などに、要求されている布施の意味を説明し、彼らの同意のあった時にだけ、これら、彼の波羅蜜の円満成就ために手助けすることに喜びを感じる人を、他人に布施する。しかし、もし、彼に要求してきたのが非人(たとえば夜叉、阿修羅など)である時、彼は布施をしない。

同様に、彼は決して、国家を、人民に危害と苦痛を齎す人に贈ることはなく、人民を正当に保護することのできる有徳の士にだけ、贈る。これが、外物施の方法である。

如何にして内物施するのか?

菩薩には、二種類の内物施の方法がある:

1、全身を布施する:衣食のために、身を売って奴隷になり、他人に奉仕する人になる人間がいるように、菩薩は、身体をささげて、衆生に奉仕することがあるが、その時、完全に、欲楽を求めたり、善界に生まれたいと願ったりすることはない。ただ、衆生に至上の利益と幸福がもたらされるように期待し、また、布施波羅蜜を最高の境地において円満成就することだけを希望する。

2、四肢と器官を布施する:彼は一筋の猶予もなく、自己の四肢と器官(たとえば手、足、目など)を、必要としている人に布施する。まるで外物を布施するのと同じように、彼は決して自分の四肢や器官に執着することはないし、毛一筋ほどのとまどいもない。

二つの目的

自己の四肢、器官を捨てさる時、菩薩には二つの目的がある:

1.受取人の願望の成就と、必要な物の獲得の成就。

2、惜しみなく、執着なく布施をすることによって、波羅蜜を修習する善き方法を獲得する。菩薩は、全身または器官のどれか(内物施)を布施する時、まるで慈善によって外物を布施するのと同じように、以下のように思う:「このような布施を通して、私は、必ずや、正等正覚を証悟するであろう。」

布施をするとき、彼は受取人に益のあるものしか渡さない。もし、欲しがっているものが、彼を傷つける魔王であったり、兵卒であったならば、菩薩は身体や器官を布施することなく、以下のように考える:「彼らにとって一つもよい結果にならない布施はしてはならない。」

同様に、彼は、自分の身体または器官を、魔王や魔兵にコントロールされている人や、精神が不正常な人に布施することはない。それ以外であれば、彼は、誰かが彼に何かを欲しがった時、彼は即刻布施をする。というのも、この種の布施の機会は、非常に稀有であるからである。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>