前言ー本書執筆の縁起
「無我」を説明するのは、非常に困難な仕事である。
というのも、それは仏教の真髄であるからである。
私は、その奥深い教義をわかりやすく解説できるかどうか心配しているが、もし私の説明がでたらめであれば、ある種の人々はそのことによって、仏法とは何かを誤解して、仏法とは本当にそのようなでたらめなものだと信じてしまうだろう。
そうなれば、私は、仏教に対して最も大きな傷害を齎したことになってしまう。しかし、今の私は、益々確信を強くしている。
というのも、いくつかの意見と疑問を持ち出してきた友人を観察して、それを解説した方が、しないよりはいい、ということが了解できたからである。
それは少なくとも、この種の問題の論争を取り除くことができる。
「する方がしないより良い」とは、「無我」について認識がはっきりしない人、または「無我」を理解しない人に何等かの利益を齎すことができることを意味している。
ゆえに、必ず完全無欠であるべきだ、という期待を抱かないという条件の元、(+人々の)疑問に答えるだけでも、良い結果が得られるに違いないし、私自身もそれに非常な満足を覚えるであろう;
そして、もし、私の解釈が完全であったならば、または意外な啓発効果を齎す事になったならば、それは思わぬ収穫である、ということだ。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>